五感の認識だけでは真実は見えない

私たちは、毎日さまざまなものを目にします。
出来事やものに数多く遭遇します。
自分にとって良いと思われる出来事もあれば、当然悪いと思われる出来事もあるでしょう。
しかし、一度冷静な視点に立ってみたとき、果たしてこの目で見ているものはすべて正しく捉えているといえるでしょうか。

例えば、あなたの手の平を顕微鏡で見ると仮定します。
当然、肉眼に映る掌とはまったく違ったものが見えるはずです。
また、レンズの倍数によって見えてくるものも変わってきます。
一万倍のレンズを通して見た掌と、百万倍のレンズを通して見た掌はまったく違って見えます。

この事実には大切なポイントがあります。
それは、自分の目に映るものが無数の形として存在しているということです。
もし、それぞれに見えるものを正しいと捉えたとすれば、全部正しいともいえるでしょう。

日常私たちの肉眼で見ているものは、ほんの一つの視点から見えているものに過ぎません。
ものごとの本質、つまり真実を見ようとするならば、肉眼だけでは絶対に見ることができないのです。
肉眼だけに限らず、私たち人間の五感はみな微妙に違い、見る人が違えば、同じものでも違って見えます。
感覚器官だけではなく、私たちの捉え方、価値観も一人一人みな違います。
それは、もって生まれた遺伝子、育ってきた環境、過去に出会った人々、今日に至るまでの経験などが一人一人異なるからです。
誰一人として同じ記憶をもっていないのです。
そして、そのそれぞれが記憶という独自のフィルターを通してものごとを見るために、ものの見方が全員バラバラです。

例えばあなたを10人の人が見れば、10人それぞれのあなたに対する評価は異なります。同じ人間でも見方がまったく違います。
人間の感覚器官だけでは、物事の本質や世界の真実の姿を知ることは不可能なのです。
では、結局多くの見方だけが多数存在して、真実など存在しないのでしょうか。

真実は確実に存在しているのです。
しかしそれは、人間の視点を中心とした小さなものではなく、全体的な視点からみた宇宙の絶対的な法則です。
世界の本当の姿といってもよいでしょう。それだけが真実なのです。
そしてそれは、あなたの心の一番内側に確実に存在しています。
世界の本当の姿を捉えることのできる絶対的な偉大なる心が存在しているのです。
なぜならば、あなたは宇宙の一部であるからです。

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