人を神と捉えたら戦争も病気も存在しない2013/09/20

生命は一つであるのに、私たちはそれが理解できないばかりに自らの手によって破滅にも向かっています。
戦争や紛争という争い。
また人間を死に至らしめる病気の数々。

しかし、人間を神と捉えることができたら、戦争も闘いも病気もやがては一切存在しなくなります。
真実からすべてを眺めると最初から何も起きていないことが理解できます。

何者も死んではいないのです。
神は最初から死んでもいないし、生まれてもいないし、何も起きていないのです。
神には戦争などありません。
病気もありません。
闘いもありません。
憎しみも恨みも何もありません。
人はみなそれぞれに悩みを抱えていますが、すべてが一つであることを体感した、
その瞬間に「悩みなどどこにも存在していなかったのだ」ということがわかります。
全部は自分の妄想だったということに気がつきます。
そのことが分かったときに、悩みのみならず、病気もガンも全部消えてしまうのです。
すべては幻だったのです。
私たちの目にはさまざまな出来事が映り、私たちの耳には様々な情報が入ってきますが、
それは私たちの五感で見たり聞いたりしているだけであって、神の世界にそのようなものはないのです。
この真実がわかれば、初めてすべての謎が解けてきます。

例えば、天と地、陽と陰、プラスとマイナスと分けるのは相対的な捉え方ですが、相対的な捉え方も真実ではありません。
宇宙には天も地も、陽も陰も、プラスもマイナスも、能動も受動もないのです。
もともとすべてが一つ、神一元の世界こそが真実なのです。
究極はただ一つ、神の原理があるだけなのです。
私たちが見たり感じたりするものは、すべて相対的なものです。
相対がなければ、時間も空間もなく、何も認識することも感じることもできません。

しかし、神そのものには相対がありません。
神にとって唯一の相対は、私たちの業、すなわち人間の心だけなのです。
ただし、この相対は真実を認識するまでの仮定では、大変重要です。
それは私たちに相対が存在することによって、私たちは神の素晴らしさを認識することができるからです。
もし、神だけで相対が存在しなければ、神の素晴らしささえも私たちは認識できないのです。
神は原理そのものなのです。
神が原理を創ったのではありません。
原理そのものが神なのです。
生きとし生ける森羅万象すべてのものが神であって、この宇宙には神というただ一つがあるだけなのです。
そこに相対は存在しないということがいえるのです。

ですから、本来は天と地を分けるべきではないのです。
「天においてなされることが地上において現れる」という表現は真実ではありません。
地上に現れたこともすべて天なのです。
地上にあるものも、天にあるものも全部が一つなのです。
地上に現れているものも現れていないものも、すべて天の現れ、神の顕れなのです。

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