私たちの命は永遠に不滅である2015/01/11

私たちの肉体は、誕生し、そしていつか肉体は滅び、死んでいきます。
多くの人々は、その肉体の命が自分の命であると思い、命とは限りのあるものだと考えています。
それは三次元の世界のことであり、命の真実は、生まれることもなければ死ぬこともない永遠のものなのです。

命は、肉体が滅んでも滅びません。
真我に目覚めればそれが理解できます。
本当の自分を自覚することは、永遠の命を悟るということです。
私たちの命は不滅なのです。
私たちは、一人一人の個体をそれぞれ別々の命として捉えています。

しかし真実は、生きとし生けるすべての生命は、同じたった一つの命であるのです。
肉眼で見ると別々に分離している命も、それぞれはすべて一つの命なのです。
動物も植物も、土も水も、そして、鉱物でさえもすべて同じ命なのです。
物質と物質の間にある空間と思えるものすらも、すべては一つの命です。
形あるものもないものも、すべては命としてすべてつながっているのです。
分離しているそれぞれの命を一つの命と見るか、生きとし生けるもの全体を一つの命として見るかでは、価値観も生き方もまるで違ってきます。
全体を一つの命として認識できたときには、バランスを失いかけた地球全体の生態系がもとのバランスを取り戻すことでしょう。
これこそがまさに調和の世界への道なのです。

私たちの命は久遠であり、全体の生命と一つです。
この真実を悟ることこそが本当の悟りであり、それこそが真我を自覚するということに他なりません。
私たちは自らの内なる真我に目覚め、真我を広くこの世に顕現していく時代にいよいよ差しかかっているのです。

孔子は「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
ソクラテスは「汝(なんじ)自身を知れ」という言葉を遺しました。
空海は、長い追究の結果「宇宙即、我(われ)」という境地に達しました。

先達者たちが、真理を真剣に追究した結果、到達した境地とは、
「本当の自分自身を知れば、すべては無限の自由が手に入る」ということなのではないでしょうか。
それほど、自分がこの世に生を受けた意味というのは意味が深く、明確にすることが大切であるということです。
世の中に偶然はないのです。
魂は永遠不滅であるからこそ、その一瞬一瞬を大切にして、素晴らしく生きるこが大事であると思います。

たった一度の人生です。
本当にあなたの人生が素晴らしく光り輝き続けることを心よりお祈り申し上げます。

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