真我の世界では、わからないほうがわかったのです

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真我の世界、神の世界は分からないほうが分かっているのです。

どういうことかと言うと、「分かった」と言ったら、「この出来事はこうだ」と限定しているわけなのです。

真我の世界では「こんなやつ」なんていない。

「あの出来事はこんな出来事」なんてないわけです。

真我の世界は、全てが神で、全てが完全で完璧。

全てが満月だということは、一貫して変わらないわけです。

究極の全体なわけです。

私たちが今までいった常識とは違うのです。

今まで思う「分かった」はどんどん変化していくから、変化してる姿まで分かってくるわけです。

だって、私たち今朝ケンカしたけど、夕方になったら仲良くなってるかもしれないじゃないですか。

人の心は常に流れゆくものです。

川に落ち葉をポンとやったら、流れていくでしょう? 

人の心も全て流れていく。

ここにいると思ったら、そこにはもういない。

もちろん、その人だけじゃなくて、あなたもそうなんです。

そして、その出来事、世の中全体もそうなんです。

ひと時も休んでない。

あなたの肉体だってそうですよ。秒単位で老化していってるんです。

秒単位で死にまっしぐらなわけです。

だから、肉体を見て自分と思ったら、絶望するじゃないですか。

しかし真我である、神である永遠の命を本当の自分と見たら、それで一気にあなたのスイッチが変わるわけです。

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