原因と結果の法則

今この現象世界には、原因があり、結果があります。

例外なく、原因と結果の法則があります。
あなたが今まで思ったことが、今までのあなたの現実を現してきました。
「プロジェクトが失敗したのはこういう原因がある」
というように、結果には、必ず原因があります。

原因と結果があるわけです。

あなたの今いる次元にも原因と結果があります。
あなたの次元が上がったとしたら、その次元にも原因と結果があります。
もっと次元が上がったとして、そこの次元にも原因と結果があります。

だから、それぞれ皆さんの意識レベル(認識能力)が、上がったとしても、
すべて原因と結果で生きていかないとなりません。
すべての次元に原因と結果があるわけです。
当然、次元が上がれば、原因と結果が違います。

ドロボーさんが、その意識のまま金持ちになったら、ドロボーの名人だから金持ちになったわけです。
それが見つかった結果、刑務所に入ることになった、という結果があるわけです。
ドロボーさんからサンタさんになって、そしてやはり見つかった。
見つかったけれど、今度は反応が違います。
みんなから、笑顔でありがとうとお礼を言われるわけです。
同じ見つかってもドロボーさんが見つかったのとは違います。

ドロボーさんの意識と、サンタさんの意識では結果が変わるわけです。
この次元での原因と結果、
次の次元での原因と結果、
その上の次元で原因と結果・・・。
このように、どの次元になっても原因と結果の世界が働いているのです。

大事なのはここからです。

ここまでは誰でも言っている世界。
決定的に違うのは、その奥に神があるという真理です。
あなたの中に、神があります。
真我と言います。

真我開発とは、あなたの中にある神に気づくと言うことです。
この神は「本当のあなた」です、「真我」です。
あなたの中にある完全完璧、永遠なる、無限なるあなた、それが本当のあなたです。

一番低次元の人、一番高次元の人、何か違いがあるでしょうか。
違わないです。
なぜなら、みんな初めから神なのですから。同じです。

私たちの性格や考え方は表面の部分であり、奥は普遍なるもので、みんな変わりません。
みんな一つの世界、神の世界なのです。
次元の一番上に神がいると捉えている方もいますが、それは違います。

私たちのこの物事を認識する能力において、より全体的な物事を捉えられることは
意識次元が高いということで、目の前のことしか捉えられないことは意識次元が低いということです。

その意味でいえば、私たちのこの脳で考える意識は、
“より全体を捉えるのは、少し物的な捉え方ですると、なんとなく神に近づいている”
という感覚にもなります。
しかし、本当の真理は、近づくも何もないのです。最初から神だからです。もともと神。
皆さんは、神そのものなのです。
ですから、あなたは瞬間に変わることができます。
もともとの自分に気づくだけですから、時間はかかりません。

もし、 “次元を上げていって、いつか神になる”が真理だったら、いつ、誰が神になったのですか?
いつ、神になるのですか ?ということになります。
そうだとしたら、皆さん、一生救われない可能性があります。
私は、もともと神であるあなたは完全で完璧だ、ということを、一貫して二十数年間、やり続けています。
目の前でバタバタ変わっていくのです。

本当に真我に目覚めたら、精神や、心の病の方がその場で治っていく姿をたくさん見てきました。
おそらく、それが常識の時代が来ると思っています。

次元の話に戻りますが、最も低い次元、一番低次元、そこにいる人は、人とぶつかり合う、戦いの世界にいます。
年がら年中、人とぶつかっているわけです。
低空飛行で飛んでいると、家やらビルやらあちこちにぶつかります。
高度を上げると、今度は、家やビルにはぶつからないけれど、山にぶつかる。
更に上げると、ぶつかるものがなくなり、そして、大気を抜けるとエンジンがいらなくなる世界です。

ある程度の高さで満足して、「自分はもうわかった」「自分は理解している」という人は、それ以上動きません。
自分を変えようとしないのです。
高さの低い人は、まだ戦って、ぶつかって、苦しんでいるので、ある日突然、ポーンと自分がはじけて、
自分が壊れて、パッと本当の自分に目覚める瞬間があるわけです。

今まで多くの人を見てきました。
苦しんで苦しんで、のたうち回っている人は、実は、最大のチャンスなのです。
そこから逃げ出したい、何とか高みに行きたいという思いが、本当の自分に目覚めやすくするのです。

逆に、もう救われましたという人の方が少し問題です。
なぜなら、本当の自分に目覚めているか、本当に真我で生きているかということが重要なのですから。
もうわかったと言ってしまうと、それは自分の脳で捉えた「わかった」になってしまうのです。

親鸞さんが「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と言ったのは、
色々と問題を抱えてる人の方が救われやすいという意味なのです。
何かの問題の壁にぶつかったとします。
人間関係の問題、お金の問題、健康の問題など。
右に行ってもぶつかって、左に行ってもぶつかって八方ふさがりになる。

そうすると、四方八方どこにも行けないから、上に行くしかないわけです。
上に行くには自分の意識の次元を上げるしかないのです。
その問題の壁を超えるためには、次元を上げるしかない。
だから、自分が悩み苦しみ、問題と思っていることは、実は、自分の次元を上げてくれるための大切な出来事ということです。

神の愛なのです。
すべては神の愛、すべては神の現れ、なのです。

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