お金を追い求めているのは、悟りを得たい本能があるから

お金を欲するのは、私たちがみな自由を求めているからです。
お金がなければどこにも行けず、好きなものも買えず不自由だからです。
好きな場所に行け、好きなものが何でも手に入るのならお金は要りません。
つまり、お金が欲しいのではなく、自由が欲しいのです。

ではなぜ自由が欲しいのでしょうか?
それは、喜びや幸せを得たいからです。
喜びや幸せを得たいのは、自分や家族をそれだけ愛している証拠です。
自分や家族を愛しているが故に、自由を得ようとしているのです。

愛は神です。
愛という究極の本能は、一つの命を悟っていくことです。
本当の愛と神は一体なのです。
人間も含めたあらゆる動物の行為は、全て愛が源泉になっています。
敵を攻撃するのも、自分を守ろうとする愛があるからです。
人を蹴落としてまで高い地位を獲得しようとするのも、
自分を強く愛しているからです。エゴそのものも愛なのです。
ただし、その愛の大きさが小さいのです。
エゴの人とは、自分のためという個体的な捉え方しかできない人のことです。

正確に言うならば、「国家のため」という捉え方もエゴです。
その結果が戦争を生み出してしまうのです。
ですから、全体という一番大きな捉え方をしなければならないのです。
それが本当の神の愛なのです。
「『世の中のため、人のため』と言う前に、まずは自分のことができなければダメだ」と人は言いますが、本当は逆なのです。
一番大きな全体を捉えた中から、自分という個の存在を捉えるべきであって、個を拡大して全体になるのではありません。
まず最初に大きな視点に立たなければならないのです。

ただし、人類の歴史は、小さな視点から徐々に大きな視点に拡大してきた歴史でもあります。
以前は自分の身を守るために一人一人が刀や剣を持っていました。
そして、日本の国の中でも領土争いをしていました。
ようやく日本と言う一つの国に統一されたら、今度は他の国を侵略するようになりました。
そのようにして、小さな視野から大きな視野に視点が徐々に拡大していきました。

今はインターネットなどが発達して、地球の裏側にでも通信できるようになり、地球が一つであることを感じざるを得なくなりました。
しかし、本来は、全体が一つであることを悟るために長い年月が必要なわけではありません。
天動説から地動説に人々の認識が切り替わるのに、長い年月は必要ありませんでした。
地動説が唱えられる前から、もともと地球は太陽の周りを回っていたのです。

一秒でわかることと何百年もかけてわかることがありますが、本当は一秒でわかることの方が真理なのです。

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