苦悩とは実体がなく、もともと存在しないもの~諸行無常2013/09/13

人間の心の働きは、いつも一定ではなく変化を続けています。
同じように自然の姿も、一時たりとも同じ状態に留まることがありません。
川の水も常に流れています。
どれだけ頑丈なものを作ったとしても、物質はいつか古くなり崩れ去っていきます。

その原理は心と同じです。
すべて人の心と、人の心によって作られたこの世のすべてのものは、まさに諸行無常です。
一瞬たりとも留まってはいないのです。

この世に生きとし生けるものは、いつか必ず消え去って行く運命にあるのです。
苦悩とは、まさに心の働きですから一定のものではありません。
針の穴のように小さなものにもなりますし、巨大な山脈のように大きなものにも姿を変えます。
突然、大きくなったかと思うと小さくもなり、また別の問題が急に降りかかってくる場合もあります。
あなたの心の世界の出来事であり、あなたの捉え方で変わります。
つまり、実体そのものは存在していないのです。
世の中には、因果の法則というものがあります。
これは一言でいうと「原因と結果の法則」です。
その類の書籍がたくさん世の中に出ておりますが、すべてのものは原因があって成り立っています。
原因と結果があるだけであって、そのものの実体はありません。
心の法則も実は同じなのです。

ここに赤いスポーツカーがあると仮定します。
この赤いスポーツカーが存在している理由をたどってみると、必ず誰かが「こんなスポーツカーを作りたい。カラーは赤がいいかな」と心に描いています。
その結果、このような赤いスポーツカーの形となって現れたわけです。
原因と結果の法則は、ただそれだけのことに過ぎません。
誰かが心の中に何か描かなければ、このスポーツカーは存在しないのです。
もともと最初から存在したわけではありません。
そして、このスポーツカーもいずれは古くなり、巨大なゴミになってしまいます。
ですから、描いたものが形になっただけであり、このスポーツカーそのものには実体が存在しないのです。
「しかし、ここにこうやってスポーツカーがあるじゃないか。車としての実体があるじゃないか」という意見があるかもしれません。
しかし、この車の実体そのものは、事故に遭ったり、故障して機能がなくなってしまったら、ただのガラクタになってしまいます。
さらにスクラップされれば、ただの鉄屑になってしまいます。
そのようにして捉えていくと、目的を決めているのは、あくまでも人間の心ですから、スポーツカーそのものには意識がありません。
つまり実体は存在しないことになります。
また、この赤いスポーツカーの原型は一定ではありません。
顕微鏡や望遠鏡で見たら、それぞれ違ったものに見えます。
そこには、顕微鏡で見るという原因と、顕微鏡で見たときに映る結果があるだけです。
肉眼で見るという原因があって、私たちがこのように見える結果があるだけです。
ですから実体はないわけです。

すべては「無」なのです。
しかし、この実体というものをもう一歩深く捉えると、実体がないのではなく、「そこには神があるだけだ」ということになります。
本当の実体は神しかありません。
「無限がある」と言い換えることもできます。
存在しているのは神しかないのです。
すべてこの世は神の顕れ(あらわ)なのです。
すべては神の顕れであり、神しか存在しないということを悟ることが、苦悩の解決につながるのです。

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