「人間の作った自由」から、究極は「神にそった自由」へ

意識の時代になると仕事、いわば会社や企業はどのようになるのかということです。
日本は資本主義社会の一員ですが、この枠組はどう変わるのでしょうか。
私は、いまの時代は資本主義社会であると同時に、自由主義社会であるととらえています。

自由は大きく分けて二つあります。
一つは、人間の思う自由です。
もう一つは、神にそった自由があります。
資本主義社会、イコール自由主義社会といわれている自由とは、要するに人間が作った自由です。
それは確かにある程度は自由ですが、地球全体から見て本当に自由なのかということです。

この点、わかりますか。

地球全体から見たら、本当に自由なのかということを考えてみましょう。
地球温暖化、環境破壊、森林伐採、酸性雨問題をはじめ、病気や戦争などさまざまな問題が山積しています。
人間の住む環境の危険度は増すばかりです。
これらはとりも直さず、人間が生みだした自由から来た結果なのです。
確かに小さな部分としてとらえれば、人間が自由にふるまった結果ですが、大きな全体から見ると、
じつは、先にのべたような難問が立ちはだかっている

不自由な姿になっているのです。
たとえば、泥棒が「どう動こうが俺の自由だ」といって、人の家のものを盗んだとします。
それは泥棒ひとりにとっては、自由でしょうが、盗まれた家と合わせてみたら、絶対自由ではありません。
なおかつ、泥棒を捕まえて留置場なり刑務所に入れたら、泥棒は間違いなく不自由になります。
だから、人間の編み出した自由には、必ず限界があるということです。

一方、神の創った自由には、限界がないのです。
どこまでも、どこまでも無限に繁栄しつづけることになるからです。
いわば、どんなことにも、どんな場合にも壁がなくなるということです。
神が創った自由とは、地球単位よりも宇宙単位でとらえる自由ということになります。
宇宙ステーションに住むとか、宇宙空間も視野に入れた自由でとらえるということです。
これこそ、究極の自由でしょう。
だから神にそった自由こそ、究極の自由なのです。

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