生物の淘汰は真理そのもの

真理とは、もともと完全なる調和の世界であり、宇宙そのもののことをいいます。
その宇宙意識に目覚めることこそがもっとも崇高なことです。

それはこうもいえます。
宇宙意識に目覚めると、自分という我が消えていきます。
宇宙意識とは大調和であり、すべてはひとつであり、神であり、完全の世界です。
それは、もともとそうだったのです。その、もともとそうだったことに目覚めるということです。
これから創りあげることでもなく、いわんや組み合わせることでも、結合させることでもありません。もともとあることなのです。

あらゆる生命体がすべてうまくいく世界があります。
うまくいくといっても、勘違いしないでほしいのは、ただ生きのびられる世界ではないということです。
生物が淘汰されるのもうまくいっているのです。

足をケガしたシマ馬をライオンが食べる、それを見てうまくいっていないというのは、人間的なとらえ方です。
それも全部うまくいっているのです。シマ馬のケガも、ライオンを生かすシステムとしてうまくいっているととらえるべきなのです。
つまり、生成発展も淘汰も、両方ふくめてすべてうまくいっているととらえなければいけないのです。

話はとびますが、
日本の構造改革によって倒産する企業、破産する人が出るのも、全体でみれば生成発展、淘汰の観点からうまくいっているのです。
倒産も破産もせず、みんなうまくいくのがよいというのは、じつは大間違いなのです。
ケガをしたシマ馬をライオンが食べてはいけないというのと同じです。
そのとらえ方は、きわめて浅いのです。自然法則の中の当然の営為ととらえるべきです。
すべてをうまくいかせるには、どうしてもすべてを生き永らえさせるという発想をしがちです。
しかし、それは間違いです。
淘汰もふくめてうまくいくのが正しいのです。
要はバランスです。神はすべてバランスをとります。ふえすぎた種は滅亡したり、淘汰されて絶滅すべきものは絶滅していいのです。
淘汰も神のなせる完全な一部なのです。

人間の命を永らえさせるべく、人工臓器を開発して懸命の医療をしています。
それは、薬を飲んで延命をはかるのと、やっていることは同じです。
酸素吸入も、人工臓器も、薬も同じレベルでやっていることに変わりありません。単なる人間のお遊戯にすぎないのです。
では、このレベルを超えるにはどうするか。
それには、根源から生命を生かすということに、すべてを変えていく必要があります。
生命を生かすという法則に、すべての人が目覚めていくことです。個人個人のレベルでは、限界があります。
だからこそ、全体のレベルを変えていくのです。その可能性は十分あると私は見ています。

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