感覚器官だけではなく、私たちの心も一人一人がみな違います。
それは、持って生まれた遺伝子、育ってきた環境、過去に出会った人々、
今日に到るまでの経験などがみな異なり、誰一人として同じ記憶を持ってはいないからです。
そして、そのそれぞれが記憶という独自のフィルター越しに物事を見るために、ものの見方が全員バラバラになってしまうのです。
もちろん、そのどれもが真実を見たことにはなりません。
しかし、われわれの心の一番内側には、この世の全ての真実を捉えることのできる神の心とも言うべき心が存在するのです。
その心こそが私たちの実相であり、真実の姿である真我なのです。
真我とは、神の心、仏の心であり、無限の愛に溢れた大調和の心です。
真我は、私たちの揺れ動く心や表層意識、感覚器官などを全て超越した大宇宙と完全に一体となっている真実の姿なのです。
真我に目覚め、真我を開くと、一瞬にしてすべての視点でものごとを見ることができます。
完全なる真実を見ることができます。
神の目は私たちの感覚器官などを超越した真実の目だからです。
神の目で見れば、宇宙の全てが一つの命、一つの法則でできているという真実に気がつきます。
地球上の人類はみな一つの命であることがわかります。
アポロの乗組員だったラッセル・シュワイカート氏は、
宇宙空間で地球を眺めているときに、突然、「生きとし生けるものは一つなのだ」と一瞬の内にわかったと言っています。
それは、そのように感じる心がもともと彼の中に内在していたから、一瞬の内に出て来たのです。
作られたものは一瞬の内には出てきませんが、もともと内在しているものは、一瞬の内に表面化しても不思議ではないのです。