すべては、あなたの心の世界の出来事です。
では、時間、空間の場合はどうでしょうか。
時間という言葉には、現在、過去、未来という三つの形式が存在します。
日常、私たちは大まかに、昨日の出来事は過去、今の出来事は現在、明日の出来事は未来というように使い分けていると思います。
しかし、それはあくまでも人間だけが認識している世界なのです。
時間という言葉にした瞬間に、過去、現在、未来という形式が誕生するものですから、宇宙という全体から見たら時間も存在しなくなってしまうのです。
この概念から「今」という時間は声に出した瞬間、すでに過去になってしまいます。
その「今」をまったく動かない瞬間として見たときは、時間は存在しないことになります。
さらには、1秒を百分の1、1万分の1、1億分の1、1兆分の1……というように縮めていくと、もうそこには時間はなくなってしまうでしょう。
そのように捉えると、時間は存在していないことになります。
時間が存在しないということは、別の言葉で言えば未来も過去も存在せず、ただ、絶対的な「今」のみが存在するということになります。
では本当の「今」とは何を指すのでしょうか。
それは、絶対不変な宇宙のこと、神のこと、そして真我のことを指します。
過去と未来は、私たちの肉体が存在してはじめて存在するものなのです。
本当は、宇宙空間には過去も未来も存在していないのです。
空間も同様です。
例えばあなたがこのサイトを読んでいる部屋は、一つの空間とみなされますが、壁を通り越したら、その空間は存在しなくなります。
また、現在私は新宿の事務所にいますが、新宿にもいる、東京にもいる、日本にもいる、世界にもいる、そして宇宙にもいるといえるのです。
宇宙という一つの世界に存在しているにすぎません。
産まれたばかりの赤ちゃんには、時間、空間という概念はありません。
成長し大人になるにしたがって、時間的、空間的な認識が強くなっていくのです。
そして時間、空間の概念は、一種のトラウマを生む原因にもなります。
誰しもが、時空間の中で様々な体験を積むにしたがって、その人独自の思い込みが強くなっていきます。
時間が経てば経つほど、そのことに囚われてしまい、その固定観念によって自らを縛ってしまう危険性があります。
ジンクスという言葉がありますが、同じような体験を何度も繰り返すと、やがてそれは一つの固定化した観念になっていくことがあります。
例えば、今まで何度となく、雨の日に外を歩いて転び、ケガをした人がいたとします。
その人は、雨の日になると転んでケガをするということが何回もありました。
そしてあるとき家族や友人から
「あなたは、雨の日になると外で転んでケガをするね。雨の日は、あまり外に出ない方がよいのではないですか?」と言われました。
最初は「いや。そんなことはない。違うはずだ」と思っていましたが、また転んでしまいました。
そしてまた、周りの人から、同じようなことを言われているうちに「私は、雨の日に外を出歩くと転ぶ」と思うようになりました。
このように、過去の出来事に対して、同じようなことを繰り返すと思い込みが強くなってしまいがちです。
また、周りの人から何回も言い続けられると、やがて「絶対そうだ!」と自分の中で断言して言い切ってしまうこともあるのではないでしょうか。
私たちは、反復によって囚われが強くなるということがあり、
反復が多いほど、また時間が長ければ長いほどそれに対する思い込みが強くなる傾向をもっています。
仮にあなたは、まったく健康なのに「あなたは病気ですよ」と10回、100回と同じことを聞かされたら、まさしく洗脳された状態になってしまう危険性もあります。
本当にそうだと思い込んでしまい、やがては完全に病気になってしまうこともあります。
思い込みによって、病気を引き寄せてしまうのです。
もし、あなたが過去の出来事に対して、大きな心の傷を背負い今も苦しんでいるとしたら、それは今の苦しみになります。
出来事は過去であったかもしれませんが、心が今も苦しんでいるということは今の出来事なのです。
そのようなときは、時間は人間が作り出したもので本来は存在しないものである。
幻、夢であると言い切ってみるのです。
なぜならば、それは人間が脳の中で限定した概念に過ぎないのであり、脳の中で作られたものであるからです。
心の世界で見たときには、絶対的な今が存在するだけなのです。
循環する生命を肉体として捉えたときに、はじめて時間が存在することになるのです。
しかし、時間は幻であり、その幻の中に存在する自分は、幻の自分、偽我に他ならないのです。
宇宙の中の本当の自分、神なる自分を自分と捉えると、時間は存在せず、命が滅びるということもあり得ないのです。
神の世界には時間は存在せず、永遠の命には始まりも終わりも、時間も空間もないのです。