あなたには神の心が眠っているだけ私たち人間が神の心になるなど、到底不可能だと思っていませんか?
多くの人がそのような考えを持っているかもしれませんが、それは誤りです。
私たちは、神の心を持ち、神の目を持ち、神の目ですべてのものを見ることができるのです。
なぜなら、私たちは神そのものであり、神の心が私たちの中に存在しているからです。
それならば、なぜ神の心を自覚できないのかというと、「使っていない」からです。
人間はこの世に誕生してから、今日に至るまでさまざまな経験をしています。
その過程の中で本来持っている神の心に重いフタをしてしまっているのです。
潜在意識はすべての記憶を覚えていますが、自分でブレーキをかけてしまっているのがほとんどです。
なぜそのようなことを言い切れるかというと、前述しましたが私自身が、この目で実証を見届けてきたからです。
約20年間にわたり「真我開発講座」を主宰していますが、
受講生たちの心の変化を一人一人この目で確かめて、明らかに言える事実、
それは、「神の心というべき真我がもともと誰の中にも存在していた」ということです。
今まで悩み苦しんでいたのは、単純に本人がそれを自覚できなかっただけだった。
しかし、真我を体感した瞬間は、みな間違いなく神の心になっています。
本当に素晴らしく変化します。
そして、真我を開く前は、解決策を外に求めていたのが、
既に自分の中にその解決策が存在していたということを魂で気付くのです。
ですから、努力して時間をかけて何かになろうとするのではなく、
はじめからもともと存在していた神の心を体感することが大切なのです。
絶対的な真実には、誰も反論することができません。
私たちが言えることはあくまでも仮定に過ぎません。
その仮定を仮定でなくするためには、実証を示していくしかないのです。
例えば科学者が「Aという液体とBという液体を混ぜ合わせればCという液体ができる」という仮説を立てたとします。
そのことを証明するには、実際に実験をして確率論で示さなければなりません。
その確率が圧倒的に高い数値を示せば、その時点でその仮説はれっきとした科学となります。
ですから、私は空想や幻の仮定を述べることはするべきではないと思っています。
実証に基づいて書き記しています。
まさに、真我の真実を証明するのも、科学のプロセスと同様なのです。
「人間の心の中には神の心が眠っている」という仮説も、その仮説のままだと科学の領域にはなりませんが、
実際にたくさんの人の実体験を通して確率的に実証していけば、それはもはや科学の領域とみなすことができるはずです。
ですから今も、講座を受講された、たくさんの人たちの体験を数多く追跡取材しています。
私がこのことに関して絶対的な自信を持っているのは、一般的に「奇跡」といわれるような実証データを
何万件ともっており、日々増え続けているからです。