どのようにしたら真我を開くことができるのでしょうか。
そのときに大切なことは、真我にたどり着き、体感しようと思ったら、ただじっとしているだけでは不可能であるということです。
心とは土壌のようなものです。
そして真我は、その地中深くに眠るダイヤモンドです。
地下深くにそれが埋まっているとしたら、地上からでは永遠にその姿を見ることはできません。
じっとしているだけでは、表面の土しか見えません。
まずはその土を掘り起こさなければなりません。
地中を深く掘り進めるためには、土を外に捨てなければなりません。
土を掘り起こして、捨てることによってはじめてダイヤモンドにたどり着くのです。
土は人間の心ですから、掘り進めるにあたり苦しい心や、逆に幸せな心などさまざまな心が出てきます。
辛く苦しい心が汚い土で、幸せで快感な楽しい心を綺麗な土とするならば、汚い土のほうが早く捨てやすいのです。
それは、自分の中にある辛く苦しい心は、早く捨ててしまいたいという衝動に駆られるからです。
ところが、綺麗な土やものを見ると、何かもったいなさを感じてしまい、掘り起こす作業を躊躇してしまうこともあります。
真我を開くことを目的にした場合は、この綺麗な土が曲者なのです。
なぜならば、そこで満足して手を止めてしまうからです。
もっともっと比べ物にもならないほど、綺麗で透明な心が地中に存在しているのです。
つまり、苦しんでいる人の方が真我にたどり着きやすいのです。
それは、現状に満足してそれなりに幸せな生活をしている人よりも、救いを求めている姿勢が必死であるからです。
この続きは、次回のお伝えいたします。