真我にたどり着く目的は、 親に感謝することではない2014/01/03

明けましておめでとうございます!本年も宜しくお願いいたします。

親鸞上人が、悪人正機説において「善人尚もて往生す、況や悪人を哉」と説いているように、
自分は善人だと思い優々としている人よりも、自分の罪の深さに悩み苦しんでいる悪人の方が救われやすいのと同じです。

真我を開く過程では、「自分は正しい、自信がある」と思っている人の方が救われにくいのです。
真我を開くために、自分の心の土を掘り起こすときは、目的に焦点を合わせ、集中しなければなりません。
そして、さまざまな心の変化が現われたときには、自分の心の土を掘っている方向が正しいのか正しくないのか、メンターからアドバイスを受ける必要があるのです。
自分の力だけではなく、あなたを明確に真我にたどり着かせる協力者が必要なのです。

先ほど、綺麗な土のほうが曲者であると述べましたが、
あなたのお父さんやお母さんなど、周りの人に対して良いところが発見できたときは、曲者にはなりません。
それは、お父さんやお母さんの温かく優しく素晴らしい心と比べて、自分の心が汚く見えているからです。

真我にたどり着く目的は、親に感謝することではありません。
しかし、親に対する感謝の気持ちが足りなかったと、申し訳ないという気持ちが出てくるのは、
真我にたどり着くための一つの過程になるのです。
親に対する深い感謝の気持ちが湧いてきたときは、
「お父さん、お母さんありがとうございます」という言葉と同時に、「ごめんなさい」という言葉が自然に出てきます。
そのとき、今まで気付かなかった自分の未熟さを反省し、懺悔の気持ちが出てくるのです。
そしてその自分の心を早く捨てて、もっと素晴らしい自分の心を発見しようという呼び水になるのです。
そして、真我にも早くたどり着けるのです。

このページの先頭へ