宇宙意識と一体化するために古来、いろんな方法が採用されてきました。
瞑想をはじめとして、滝行や火渡り行。
その他、宗教的な行事なども行われてきました。
瞑想その他の行は、宇宙意識を体験するための方法として否定するつもりはありませんが、
そのような行為をしなければ宇宙と一体化できないということ自体おかしな話なのです。
なぜならば、人間の魂と宇宙はすでに一体であるからです。
それは、遊んでいても笑っていても、寝ていても何をやっていても宇宙と一体なのです。
これは事実です。
瞑想しなければ宇宙と一体になれないというのは、所詮変な話なのです。
どんなことをしていても最初から既に宇宙と一体なのです。
その事実に目覚めることが大切です。
ただし、人間は煩悩があって、余計なことをいろいろと考えたり、したりするから、瞑想で想念をはらい本来の心になることも必要なのです。
起きているときも寝ているときも宇宙と一体になれる人はそういないから、現実問題としては瞑想の時間を取ることもよいのですが、
この現代社会、忙しい実生活の中で、何時間も静かな環境を確保しなくては出来ないのでは広まらないし、
そういう意味では実生活に生かせる瞑想が必要です。
また、人間には本来は、必ずそれが必要なわけではないと認識したうえで行うべきだと思います。
古今東西、いろんな宗教行事が行われてきました。
これらの全部が必要でないとか、迷信じみたものである、ということを言っているのではありません。
あちらを向いていた人間をこちらに振り向かせる、あるいは「真我」に振り向かせるためにはそういった宗教行事は必要な場合もあります。
座禅、瞑想、いろんな宗教行事の時間を設けるのは、煩悩にとらわれていた者を煩悩から解き放つ手段として必要なのです。
特に心の部分には必要です。
私は、一番深い部分を問題にしています。
魂の深い部分、宇宙に主眼を置くと、瞑想や座禅をしなくても本当は最初から人間は宇宙と一体であることを自覚することができるのです。
人間以外のほかの生物は特別な修行をしなくても、すでに宇宙と一体になっているのです。
宗教でよく使われている言葉に「不動心」というのがあります。
しかし、本当は不動心というのはありえないと思います。
心というのは、どんな悟った人でも誰であろうと、動くものなのです。
動かない心自体、心ではありません。
だから、もしも不動心が何であるかと問われたら、魂であり「真我」といえるのです。
「真我」は最初から完全であり、動かされないのです。
そこに目覚める。魂に目覚める。宇宙、法則、本当の自分に目覚める。
これこそが本当の意味で宇宙と一体になったことであり、それに目覚めるための方法は、
あくまでも手段でしかありえない、ということを知った上で、うまく生かすことが大切なのです。