人間は多重構造でできています。
人間の一番の中心は、人間の本質である真我です。
その外側に霊体、幽体、エーテル体、肉体、そして、オーラがあり、一番外側に環境があります。
通常は、このオーラまでを自分と捉え、環境と自分とを分けて考えます。
しかし、本来は環境も自分という存在の一部なのです。
もしも私たちに視覚や聴覚、嗅覚、触覚といった感覚器官が全部なかったとしたら、環境を認識することはできません。
しかしそれでも自分はあるのです。
と言うことは、環境とは、自分が見たものであり、聞いたものであり、触ったもののことなのです。
つまり、環境を認識するのは全部自分ですから、その環境とは実は自分のことなのです。
私たちはすぐに環境に責任を転嫁してしまいますが、環境も自分なのですから、結局、全ては自分が造り出した結果に過ぎないのです。
環境とは、自分で見たもの、感じたもの、捉えたものでしかありません。
それは真実とは関係がないのです。
環境と自分は同じですから、環境を変えるのも自分を変えるのも実は全く同じことなのです。
一見強面の人が突然目の前に現れたら、みなさんは何と思うでしょうか?
(この人は怖い人かも知れない)と思うに違いありません。
しかし、その人のことをよく知っていて、彼はとても気の優しい良い人だとわかっていたら、何も怖い人だとは思わないことでしょう。
人を見る時も、自分の価値観でしか見ることができないのです。
ということは、その人の真実がそこに存在しているのではなく、その人をそのように評価している自分がいるだけなのです。
ですから、この世界のものは全て自分そのものの心の影であり、自分そのものでもあるのです。