23歳 宝石のセールス時代それからは、少し宝石を持たされるようになりました。
とは言えそれは、とても宝石とは言えないものです。
貴石(きせき)とは、「貴重な石」と書きますが、オニキス、トパーズやサンゴなどがそれにあたります。
しかし、会社としては当然だったでしょう。
あまり高い物を持たせて、持ち逃げでもしたら大変だからです。
それならば、まだパンフレットだけの方がいいわけです。
私が持たされたのは、質屋から出してきたような物ばかりだったのです。
お客さんに見せようとして箱を開けると、楽しみに待っていたお客さんが空けた瞬間にパッといなくなりました。
見せればかえって売れないんです。
何回やっても、そんな悲しい結果になりました。
それをやっているうちに、ある秘策が浮かんできました。
例えば、美容院や保険屋さんなど女性がいる所を狙って行くのですが、箱を開ける瞬間に、こう言いました。
「いやあ。売れて売れて、これだけしかないんですよ」と。その日に売ったわけではないので、嘘ではありません。
「でも、安心してください」とパンフレットを広げて、「会社に帰れば、まだ山ほどありますから」と言ったのです。
それで一切怖じ気づかずに、全知全能をかけてセールスしたら、また売れるわけです。
この「売れて、売れて」という言葉で勢いがつくのでしょう。
なぜなら全然売れないようなところからは、みんな買う気はしないわけです。
景気よさそうな勢いで売れるのです。
「こんなもの、売れない」と思っていたら売れないのです。
「こんなもの」と自分が思っていて、お客さんからお金をいただくこと自体がおかしな話です。
こちらの伝え方によっては、商品が光り輝いて見えるようになるということが分かってきたのです。
宝石を買うのは、目の前にいるその人だけじゃありません。
その人の娘さんもいますし、背景には色々な人がいることを考えれば、
その人はそれほど貴石は身につけないけど、「娘に買ってあげようかしら」ということもあり得るわけです。
しかし、それでも売れない日があります。
そんな時、夜になったら夜働いてる人の所に行くんです。
水商売の店の玄関で待っていれば、お客さんを見送る女性に会えます。
そうやってかなり売ったこともあります。
「絶対にゼロでは帰らないぞ」と誓ってその気になればいくらでも、夜中でもお客さんはいるわけです。
交番に行っておまわりさんに売ってきたこともあります。
その頃から、少しずつお金も貯まり出しました。
その時に、私の実家が火事になったのです。
北海道に帰ったら、家が丸焼けになっていました。
その火事では、おばあちゃんが焼け死にました。
お葬式でお坊さんのお経を聞いて座っていたら、14歳の時に亡くなった母親の声が聞こえてきた感じがしました。
「康行、おまえがこの佐藤家を守るんだよ」と。
私は末っ子でしたが、それからの私は全身が火のようになりました。
父親は火災保険も何も入っていませんでしたので、私はコツコツと貯めたお金を全部置いていきました。
あまりに慌てて置いてきたので、帰りの飛行機賃がなくなってしまい、ちょっと返してもらって帰ってきました。
それからの私は、仕事に対する姿勢がさらに変わりました。