心の無限の構造~実は私たちは存在していないものに 縛られている2014/04/24

心は無限の構造になっています。
地球上にいる60億人全員その深さは違います。
ですから、同じものを見ても、どの次元で捉えるかによって受け止め方が違ってきます。

心の一番浅い次元が個体意識です。
逆に心の一番深い次元が神次元、全体意識です。
奥になればなるほどより全体意識になっていきます。
私個人という個体意識から、家庭という少し大きな単位へ、
そして、会社全体や地域社会というより全体意識へ、
さらには、人類全体というもっと大きな全体意識へというように、心の中は無限の構造になっているのです。
奥に入れば入るほど全体意識に繋がっています。

心の多重構造は、風船に例えれば、風船のゴムが何重にも重なっているようなものです。
しかし、どれだけ幾重に重なっていても、そのすべてを一瞬で割ることができるのです。
真我を体感するということは、その風船のゴムが全部一瞬にして割れるということです。
もともと真我は誰の中にも内在しているのですから、何重に重なっていても一瞬で全部割って体感することができるのです。

心は業やカルマでできています。
業やカルマは夢と同じで実際にはどこにも存在しないものです。
存在していないものですから、一個づつ消えるのも千個が一度に消えるのも同じなのです。
実は私たちは存在していないものに縛られているのです。
業やカルマがどれだけあろうが、それらを一瞬の内に消すことができるのです。

この世界は、いろんな次元でできています。
1次元は線、2次元は平面、3次元は縦横厚みの世界です。
3次元までは私たちの肉眼で見えます。
4次元から先は心の世界ですから、肉眼では見えません。
全ての次元は心の中にあります。
その一番究極の次元は神であり真我です。
次元が高くなればなるほど、微粒子の振動が細かく繊細になっていきます。

次元が浅いほど振動が粗くなります。
私たちの目に見える物質というのはかなり粗い世界です。
テレビの電波が粗いと画面にも粗く映りますが、繊細だとより鮮明に映ります。
見るとか見られるという世界は、まだ分離がありますが、真我は分離のない世界ですから、見るとか見られるという概念もありません。
とは言え、私たちはこの肉体を持っている以上、この五感で感じ、この肉眼で見ることに変わりはありませんから、
完全に全体意識から見るということは不可能なのです。
いくら神意識になっても、人間を見た時には人間という固体を見るしかありません。

しかし、真我を開いて、真我の心になった時には、目の前に見える全ての人を愛することができるのです。
最初から敵などいないのだという心で、全ての人と接することができるようになります。

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