3月18日、第33回東京美唄会総会・懇親会が中野サンプラザにて開催され、佐藤康行も出席いたしました。
参加者は、美唄市長、商工会議所の会頭、三井のお偉方等、多彩な業種の方々が出席されていました。
東京美唄会は、ふるさとを想う心が私たちの活動の原点。美唄を懐かしく想われるかたならどなたでもご入会歓迎します。とホームページに記載されております。
もし、ご興味がある方は、ホームページをご覧になってみてください。
⇒ 東京美唄会のホームページはこちら
北海道美唄は、佐藤康行の生まれ故郷です。
14歳まで過ごした地です。15歳で北海道から単身上京。
とにかく働かなくてはと、大手メーカーの社員食堂で、朝から晩まで400人分の皿洗い。
東京で1人頑張っていました。
その後、化粧品の訪問販売の会社に就職。
会社の先輩からは「向いてないよ。辞めれば」と言われますが、それがきっかけで一念発起。
トップセールスへと上り詰めます。
その後、宝石のセールスへ転職。ここでもトップセールスとなり、なんと3年で1000万円を貯めます。(30年前のことなのでかなりの大金です)
その貯めた資金で、東京の四谷に初めての店、ステーキパブ「ドミンゴ」を開店。当時26歳でした。
しかし、開店後、1~2年はお客さんが、まったく来ない。
「そうだ!来てくれたお客さんを全部ファンにしてやろう!」と思い、行動していくうちに「ドミンゴ会」なるお客さんの有志たちによるファンクラブのようなものまででき、大繁盛。
ついに2号店もオープンすることになります。
お店をフランチャイズ化し全国展開に。
フランチャイズ式の第一号店を下北沢にオープンします。
若者向けに1000円ステーキを提供。これが大当たりして、いつも行列ができるほどの大繁盛。そして、全国に70店舗展開。
成功者として、さまざまな講演活動や社員教育などの現場に呼ばれるようになります。
一見、すべてを得たように思えましたが、「フランチャイズの経営者」はどうしても、自分の店を「守ろう」というスタンスになります。
目先のお金にとらわれず生きてきた自分の思いが、周囲の人間にまったく伝わらない。
そして想い悩んだ末、出た答えは・・・・
続きは、明日の記事でお伝えいたします。
楽しみにしていてくださいね。