佐藤康行のヒストリーをご紹介します

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今日は、佐藤康行68回目の誕生日です。

そこで、佐藤康行のヒストリーを簡単にご紹介を致します。

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私は北海道の美唄という所で生まれました。

14歳の時におふくろが脳出血で死にました。即死です。

で、私は15歳の時に単身、1人で東京に出てきました。

そして、皿洗いからです。

毎日毎日400人前の皿を1人で洗いました。コック服がビショビショになりました。

そのつらい、つらい皿洗いが、あることがきっかけで面白くてしょうがなくなりました。

何をしたかというと、目の前に皿を置いて、腕時計を外して1分間に何枚洗えるか挑戦したんです。

そしたら、毎日1分間に何枚洗えるか挑戦したら、最後ものすごい速くなった。ブワーッと。

先輩は包丁もフライパンも持てる。私は皿しか洗えない。

でも、皿を洗わしたら、私の方が全然うまかった。それから仕事に対する考え方が変わりました。

皿洗いから始めて、それからお店を持ちたくて。そのために軍資金がいりますから、そのために私はセールスマンになりました。

化粧品のセールス、宝石のセールス。セールスマンになって、結論的に3年で1千万円貯めました。それで最初の9坪の店を持ちました。

結論を言うと、ステーキチェーン店を8年で70店舗店を作りました。

あっという間に日本中大騒ぎになって。16坪の店が1日1,200人ぐらい客が来るんです。1日ですよ。

16坪の店で。牛丼屋の真ん前でやったら、相手にならないんです。

私はその時、「勝った」と思った。

でも、それと同時に「やめよう」と思った。

なぜならば、私はもうその頃から真我開発講座をやってた。そうしたら、私のもとにいろんな人が来るわけ。

「おやじ、おふくろをぶっ殺してやる!」とかね。それが本当に真我開いた瞬間に、「お父さん、お母さん、ありがとう」と泣き出して号泣したり。瞬時ですよ。

片一方では、そちらの佐藤康行がいるわけ。

片一方はレストランチェーン店の佐藤康行。

世の中の人はレストランチェーンの佐藤康行の方を見て、「すごい」とか「成功者だ」とか褒め称えてくれるんです。

でも、人生は一発勝負です。

私はステーキ屋をいっぱい出したとして、それが、明日全部消えてなくなったって、誰も困らないだろうなと。

経済面で困る人はいるだろうけど。

私が言うのは、本当の意味でね、「命の部分」でいくとということです。

私はそれで、レストランを全て手放して、そして真我一本に絞りました。

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