小判を拾う

おはようございます。

佐藤康行です。

本日は

「小判を拾う」

「道の小判を拾っていく」
という表現をしたことがありますが

この意味は
毎日毎日、
真我をやることによって
「こんな良い事があった。
こんな素晴らしい事があった」と、

毎日、毎日の
小さな変化を大きく
認めながら喜ぶことです。

そうすることで
道を迷わないようにできるのです。

その小判を置いてくれた人
がいるのです。

その置いてくれた人に
感謝をしながら、
「有り難い」と言いながら
それを拾って行って、

「ありがとう。ありがとう。
ありがとう。これで道を迷わないです。
これで、自分の人生を歩めます。
後悔しない人生が歩めます。
ありがとう、ありがとう、ありがとう」と、

そういうふうにして、
小判を置いてくれた人のことを
忘れてはいけません。

「小判を拾ったのは自分だ」と
自分の手柄にするよりも、

自分は小判を置いてくれた人に
借りを作ったぐらいの
気持ちの方がいいのです。

ぜひ、そういう思いを
意識してみて下さい。

そこの所をちょっと変えるだけで、
ガラッと変わって来ます。

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真我の実践
真我の和解
真我の拡散
真我の降臨

を唱えることで、
あなたの運命が好転していくのです。

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ありがとうございます。

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