愛と言う前提

おはようございます。

佐藤康行です。

本日は

「愛と言う前提」

というテーマでお伝えします。

あなたは真我を追究し、
いろいろな問題も
消えてなくなり、
順風満帆な毎日を
過ごしているかもしれません。

しかし、
すべてうまく
いっているのだけれど

どうしても
解決できない
どうしても
消えない問題が
残っていると
感じるものが
あるかもしれません。

分かり易いように
親を例にして
話をしてみましょう。

他のあらゆる面で
うまくいっているのに
親のことだけが
問題として
残っているとしたら、
それはめちゃくちゃ
いいことなのです。

あなたの親が
「あなたは真我
というすごいことを
やっているのだから
ぶれるなよ」と
言ってくれているのです。

「おまえがまだ問題があると
そういうことを
思っているということは
まだわかっていないからだ」と。

親があなたにしてきた行為は
すべて愛という前提なのです。

普通は、親に
ひどいこと言われたら
感謝なんて
できないものです。

でも、愛という前提になら
できるのです。

全部、愛という前提なのです。

全部、愛という前提なら、
「なんでだろう?」と、
一言ひとことが今までとは
違って見えてくるのです。

親に対して
思い出すことが
変わってくるのです。

「あれも全部、愛なのだ」
というふうに
自分でもそういうふうに
受け止めて、そのように
翻訳すればいいのです。

親に対する怒りが
出てきた時には
「自分はまだまだだ。
修行の途中だな」
ということなのです。

「よし、それを
テーマにワークをやろう!」と
いうことなのです。

神から親を徹底的に見て
みたらいいのです。

本当に親は
神の愛だったのだと
本当にそう思えるところまで
やればいいのです。

そこまで、
極めなさいという
メッセージだからです。

最初は無理やり
そう思おうとしていいのです。
前提だからです。

そのうちに、
自然と思えるように
なっていきます。

そうなったら、
本物になったということです。

ありがとうございます。

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