意識の時代は家庭からの改革が必要

親が子供に対して、
「あなたはこういう学校へ入って、将来こういう職業につきなさい」
「お父さんの仕事はこうこう、こうだから、あなたは迷惑かからないようにしなさい」
「あなたは良家のお嬢さんとして、いい結婚相手をみつけるには、いまからこういうことをしておかなきゃだめよ。ああいうことはしちゃいけません」
などと、親の都合を全部押しつけることが多いですね。

これは、まさに型を作ってあとから石膏を流しこむように、親の思う型どおりに子供を固めてしまうやり方です。
社会はこれでおかしくなっているのです。中で一番の問題は、願いごとです。
親が子供に対して願いをもつ、神様に子供のことがこうなりますようにという願いが問題なのです。
願いとは親の思っている理想です。そうではないのです。親の理想と子供の資質は全然違います。
あえて願いをもつなら、子供の資質が最大限に生きますようにという願い、それならいいのです。
こうなりますようにと、最初から親が型を決めてかかる願いは大変よくない願いです。
いわば、各人の資質が各人ごとに家庭の中で生きてくるような願いをもつなら、いいのです。

では夫婦の問題はどうでしょうか。
夫婦なら夫は夫、妻は妻としての資質を最大限生かした中で補い合い、助け合うならいいでしょう。
それを無理してまで女が男のようにふるまったり、男が女の役をするのは決してよいことではありません。
要するに、男はこうあるべきだ、女はこうあるべきだという建前や強制がない、自然にお互いの個性を生かしあって補い合える関係がいいのです。
では、夫婦の関係は個性を生かすなら何でもありでいいのかと問う方もいるでしょう。

基本的には女性は妊娠して子供を生み、育児をする必要があります。
家庭で子育てをする妻を扶養するためにも、夫は外に出て働くという常識はあくまで基本型です。
妊娠して出産する妻に、その間もなお外に出て働けというのは現実的に無理があります。
子育ては神が与えた役割でもあるのです。そのような基本型は間違いなくあります。
それは男女間の絶対的な基盤、土台です。
しかし、それらの基本型をベースにした上で個性を生かせるかどうかということです。
女性の何割かが男性並みか、男性以上に仕事で活躍する方が出てきても何らおかしくはありません。
それはそれで否定すべきことではないでしょう。

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