この世のすべてのものは神の現れである

地上にある全ての物質は、もともと宇宙に存在したものです。
人間が造り出した素材や機械でさえも、もともと存在していたものが組み合わされ加工されたものに過ぎません。
新しいものなど何一つとしてないのです。

さらに、この物質とあの物質を組み合わせたらどのような物質になるというのは、宇宙の中で既に決まっていることなのです。
人間がそれを組み合わせて、「発明した」と言っているだけであって、最初から全ての仕組みは決められているのです。
ですから、この世にあるものは、全て決まっていたものが形となって現れたに過ぎないのです。
確かに人間は電気の存在を発見し、発電方法を発明し、そして、ラジオやテレビなどの電化製品を造りました。
しかし、人間が発見する以前から宇宙には電気も全ての製品も存在しているのです。
もともと宇宙には全ての設計図が存在するのです。
人間はそれを後から発見しているに過ぎないのです。
そして、それらを発見・発明する人間も宇宙そのものですから、宇宙の設計図の中に全てが含まれているのです。

ものを造ることのできるロボットをある開発者が造ったとします。
そのロボットがある製品を造ったら、それはロボットが造ったことになるでしょうか?
ロボットが造ったとも言えますが、そのロボットを造った人が存在しなければ
ロボット自体の存在もないのですから、正確にはロボットを開発した人が造ったということになります。
ここで言う開発者とは神の例えで、ロボットは人間の例えです。
つまり、人間の開発したものは、全て神が創造したものでもあるのです。
神の中に全ての設計図が書かれているのです。
人は時々、「自分一人の力でやる」と言いますが、本当は自分一人でできるようなことは何一つ存在しないのです。

例えば、新商品を開発するにしても、
その素材や部品を開発した人、そのための理論を研究した人、部品を組み立てる人、デザインする人…
というように、さまざまな人たちが深く関わっています。
どんなことでも、たった一人でできるということはありえないのです。
自分一人ということは存在しないのです。
なぜならば、全ての生きとし生けるものは一つの命だからです。

だから、私がやっても、「やってもらった」と言うこともできるのです。
「右手で掴む」のも「左手で掴む」のも、両方とも「私が掴んだ」ことになるのと同じです。
もともと全部のものが宇宙には存在していたのです。
創ったものも創られたものもありません。
もともと全てが一つ、神一元の世界こそが真実なのです。
創造主も創造されたものもないのです。
全てが一つの命なのです。
この大宇宙は神が創ったのではなく、
神の現れなのです。
地球上の生きとし生けるものも全て神の現れなのです。
全てが神の現れですから、「神が創った」という表現は正しくないのです。
全ての存在が神そのものなのです。
どんな現象も、神以外のものはありません。

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