乞食と托鉢は真反対

 

今、毎日が11月30日のイベントに向けて大変な盛り上がりになっています✨

 

今日もチラシ配りボランティアのメンバーが集まり、学長への報告と質問をされていました。

まるでセミナーのような深く濃〜い時間で、人生が根こそぎ変わるヒントを、学長がたくさん伝えられていました!!

 

※今日の質疑応答の一部より

 

質問者:伝えることが、時にハードルが高く感じたりしますが。

 

学長:それは、無いハードルに、ハードルが高いと言っているのです。

ハードルを見せてください。妄想ハードルです。

妄想を打ち消す研修だと思えば良いのです。実は、人間は妄想に苦しめられているのです。

 

いじめやパワハラも、私は妄想では無いかと思っています。自分を鍛えてくれていると。そのパワハラをやっている人よりも仕事ができれば良いのです。

 

それを利用すれば良い。

いじめればいじめるほどニコニコしていたら、いじめられなくなる。

 

私たちが生きている限りは、それぞれいろんなスポーツとかいろんな芸術があるけど、

私たちは人生のレッスンを受けて、この人生という人間という芸術の中で、

最高の芸術である人生を送るんだと思ってやれば、このチラシ配り一枚が楽しいわけです。

 

チラシを配っている。なんとなく惨めに感じる。

でも、乞食と托鉢というのがあります。

 

乞食というのは、ござを敷いてカゴを置いてお金を入れてくださいと言う。それは自分の生活のためにする。

 

托鉢いうのはお坊さんが籠を持って、玄関の前でチリンっと鈴を鳴らして、ここにお金を入れてくださいと言う。

 

なるべく貧乏な人の前でやるのです。なぜなら、あなたは人に対する施しの心がないから豊かになれないんですと暗に教えているのです。

 

だから、乞食と托鉢は真反対なのです。やっている動作は同じだけど。

乞食は自分の生活のため、托鉢はその人の幸せのため。見た目は同じ。

 

どうでしょうか。

 

私が営業をやっていた頃、「セールスお断り」って貼ってあると、この「セールスお断り」と書いてあるところは一番売れやすいのです。

 

なぜなら、私はセールスに弱いですよって言ってるのと同じだから。

私に勧めないでくださいって言っているのです。別に簡単に断れる人はそんな事を書く必要がないですね。

断るのが簡単にできる人は、結構ですって言えば良いだけですから。そういうところに行っていました。弱い証拠なのです。

 

自分が苦手なこと不得意なことを克服するというのは、私の人生そのものなのです。そうすると人生が楽しくなる。

チラシを配った時に相手の反応があり、自分の反応がある。

 

そうするとだんだん人を見る目ができてくる。

それとテレパシーが使えるようになる。

 

私がよく講演会とかでも、「何か言いたいの?」っていう時があるでしょ。それは訓練なのです。

相手は何かを言いたいんだなって。

顔を見たら大体わかるようになるのです。こう疑問に思ってるなとか、何か言いたいんだなとか。

 

大谷翔平が現状維持は後退だって言ってましたが、私も同じ考えだった。

だから、皿洗いの時もコックさんの時も営業マンの時もお店をやってる時も、仕事をうまくやる前に自分自身が進化しているかどうか。

 

人間として自分が成長しているかどうか、進化しているかどうかを一番にするようにしてました。

 

このチラシ配りも、自分が成長しているのか進化しているのか、心の深さ、

心のいろんな多様性とかいろんなことが見えて、こんな面白いことはないと、面白さに変えていったらどうですか?

 

「私は弱いです」って、弱いと決めつけてレッテル貼ったら、その通りになっていくのです。

 

昨日よりも進化したと、そちらの方を見ていけばいい。昨日まで出来なかったけど、今日はできるようになった

 

昨日まで言えなかったけど、先に手を挙げてから言うとか、それも行動から変えるということです。

 

手を挙げてジーッとこのままは出来ないですね。

なんでもできるでしょ。