※受講生と学長の質疑応答より
質問者:真我は素晴らしいのですが、心の三層構造でいう一層目(観念)と二層目(心)が三層目の真我を邪魔をする理由を教えてください。
学長:邪魔をしているというより、そのことによって真我に目覚める、真我を開く。真我を開くのが目的としたら、それがきっかけで開きますね。
真我を開きなさいと教えてくれている。
あなたの命を守るためです。
身体でいうと、どこか痛いところがあるでしょ。それが痛くなかったら危ないのです。痛いから「ここだよ、ここだよ」って教えてくれている。
教えてくれているから、どこが悪いか痛みによってわかるのです。
心も同じです。
心も、その痛みによって第二層の深いところに秘められたものがあるのです。
自分だけではなく自分の先祖からずーっと引き継がれたものもあるのです。それが父母を通じて自分の所にきているのです。
質問者:真我だけで良いと思うのですが。
学長:肉体があることによって、心があることによって、いろんな体験ができるのです。
例えば、ドラマだって結論が決まっているのだったら、結論を最初から観て、結論だけじゃ面白くないですね。
いろんな問題や紆余曲折があって面白いのです。
そのことによって一番奥の真実に気づいていく。肉体や心を持っていることによって、ドラマを体感できる。
人生を面白く楽しくさせてくれている。神だけだったら静止です。静止画みたいな。
質問者:動きがある方が楽しいからですか?
学長:楽しい楽しくないというのはその人の感じる世界です。
だから、人によって全員違います。
途中経過の人もいるし、ここだ!と悟った人もいるかもしれない。
だから、一層め二層目からいくと、これが答えというのはないのです。
でも真我は全部の答えなのです。
真我にいった時に答えが出てくるのです。すると上にあった問題が消えるのです。答えを見たら問題ではないですね。
質問者:最初から真我だけだと静止画みたいだからなのですね。
学長:人間の世界じゃないから、面白い、つまらないじゃないけど、でもこちらから見たらそういう捉え方もできるのです。
なくてもいいのに何故あるのですかという質問に対しての答えなのです。また、全く違う次元の答えもあります。
宇宙も地球も宇宙の現れだとしたら、全部反対から見たら五感の世界なのです。
この五感がなかったら、それを感じることができない。見ることも聞くことも感じることもできない。何を触ったって食べたって味覚も何もない。まさにそのまま静止画ですね。
食べることによって、五感で感じるのです。
もしかしたら、そういう目があったら素通しで見えるかもしれない。
他の動物は遠くの匂いを嗅いだり感じたり、皮膚感覚で感じたりするでしょ。
ずーっと何キロも先のオスを求めたりメスを求めて移動したりするじゃない。
だから、私たちの五感を越した世界があるというふうに思ってください。
真我で答えを見ることによって五感そのものが上がっていく。霊格が上がっていくということなのです。