※質疑応答より
学長:真我開発で、和解は目的ではないです。和解は報酬です。
和解した、人間関係が上手くいった、病気が治ったというのは真我に目覚めた結果の報酬なのです。
神のプレゼントです。
報酬だけで満足しない。その奥に無限の神の存在が自分の中に眠ってますよという。
これで報酬をもらっておしまいと留めないことです。それはもしかしたら頭の浅いところかもしれない。
まだそんなもんじゃないと思った方が、真我は神だから、無限ですから、その方がより凄いところを知る。
何回か真我をやって、わかったつもりが一番まずいのです。わかったつもり悟ったつもり、それから慣れ、ここはこうなるんだなと慣れることは真我では一番まずいわけです。
慣れない。わかったつもりにならない。
そこがポイントなのです。
それを白くもと黒くもで喩えて言っているのです。黒くもはザーッと降ってカラッと晴れる。
白くもは、それでいいんだ問題ないんだとそのまま終わらせてしまう。
黒雲も白雲も太陽ではないのです。全ての雲を作っている作業も雨として地上に落とす作業なのです。
雲自体ではなく太陽の熱によってやらされてる。動かされている。
その太陽=真我、雲=人の心だと思ってください。
そのように受け止めると、まだまだ深いんだということを知る人がいっぱい寄ってくると思います。
以前は悩みで来る人が多かったですが、最近は悟りを求める人が増えてきています。
特に国際フォーラム以降から。どちらでもOKです。
悩み系は黒くも、悟り系は白くも。でも太陽ではない、究極ではないのです。