神様の意思

※最新の学長講話より

 

学長:寂光というのは、暗闇と光という相対ではなくて絶対の世界、真理の世界、真理の光で絶対の光、神の光です。

光とか闇を全て突き抜けた光です。

時間空間を全て突き抜けた世界です。過去を遡って光に変える。

ここに何億年前の閉ざされた洞窟がある。

一回も光を見たことのない洞窟がある。こちらに昨日できた暗闇がある。木陰みたいな闇。

一方は何億年前の洞窟の闇。何億年前の洞窟の闇は手強いように感じるでしょ。

でも上から光を当てたらどうでしょう。パッと消えますね。関係ないですね。時間空間は関係ないです。

当然、皆さんもこうして生きているということは、ずっと遡っていくと、人類創生まで江戸時代も鎌倉時代も縄文時代もずっと原始時代もずっと必ずあなたに祖先がいるのです。

間違いありません。いなければあなたはいません。人類創生まで。もっというなら微生物も。それにはお父さんとお母さん、男と女という組み合わせの中で私たちがいるわけです。

関係ない人はいないのです。100%関係あるのです。それを無視して生きるのはできないのです。

我々が思っている普通の人間関係とはちょっと違うのです。

 

神様が創った関係。

神様が創った人間関係ですから、その神様の意図を知らなければいけない。ここでいう神様は人間が作った神様とか、そういうものじゃないです。

いうならば、寂光が神の意思。

あれが意思。

全てを突き抜け、全ての闇も、時間空間を超して突き抜けていく。そういう世界です。

 

私たちが生きていて、握りしめているものがある。あの時はこう、あの時はこう。

いいと思われること、悪いと思われること、後悔の念、自分を責めるような心を嫌でもなんでも握りしめている。

それを全て解放してあげる。この握りしめている闇の心を解放してあげると、真我に覚醒していきます。

目覚めていきます。

私は真我、真我、真我というのは、真我に勝るものが見当たらないからです。

本当の自分、寂光そのもののあなた、神そのもののあなた。

愛そのもののあなた、喜びそのもののあなた。

その蓋をしていた闇の心、握りしめていた心を全部解放し、そして光そのもの寂光そのものになる。

 

涙が出てくるというのはお知らせです。

「今までの自分よ、さようなら」、「神なる自分よ、こんにちは」が同時に出ている涙です。

入り混じっているのです。どんな嫌な自分でも去られると寂しい。

もちろん自分の中にある最高の自分と出会ったら最高に嬉しい。

その涙は大歓迎の涙でもある。生まれ変わるのです。

人間は生きているうちに生まれ変わることができたら、それは最も偉大なる仕事であり、尊いことである。

 

生きているうちに生まれ変わる。最低の自分から最高の自分に生まれ変わる。

そして、あなたが変わった時に、先祖代々過去世も子孫も全部、世界にも通じるのです。真我は全世界に通じるのです。