闇と光

※受講生と学長の質疑応答より

 

質問者:真我に出会って、しかし心の三層構造でいう三層目の真我にずっといることは難しく、二層目と三層目を行ったり来たりしているように感じます。

つい二層目は良いものでないと思ってしまいますが、その中で磨かれるということでいうと、悪いものではないということでしょうか?

 

学長:闇と光で、闇は光のない世界だから闇なのです。

光と闇が合体したら闇が消えます。光に何かを覆ったら、光が入ってこなくて闇の世界が現れます。

やはり闇と光は相対なのです。

 

心の三層構造の二層目は闇と光なのです。それが真ん中にあるんですよと。その奥に真我があって、これは普通いう闇と光の光ではない。

 

真理の光。

これは闇も光だし、光も光。

 

絶対普遍のもの、それを神といい、真我といっている。

普遍の真理のことです。全てのそういう現象に犯されない普遍のものが、三層構造の一番下の真我です。

 

普遍の真理ということで表現しているのですが、それを満月と三日月でいうと、光が当たったところは三日月ですが、見えないところも本当は丸いのですから、光の当たらない姿も同時にあるわけです。

 

でも、月はまん丸で大きな球体ということは何一つ変わらない。

これが寂光。

絶対に変わらない世界。絶対変わらない、闇も光もない全てが光。

真理の光という光です。

 

三層構造の二層目のプラスとマイナスで、プラスは良いことでマイナスは良くないと思う場合が多いですよね。

 

でもそうではない。むしろマイナスの部分があるからこそ、真我を追求する意欲が高まってくる。

 

ということは、マイナスの方が良いとも言える。

それだけ真我に近い人。

それを白くも、黒くもで表現しているのです。

 

黒雲の方がザーッと降ってカラッと晴れる。

いろんな悩み苦しみで真我を求めてくる。真我の存在を認めるからプラスとマイナスの両方良いと言っている。

 

もちろん真我を知らなかったら、当然マイナスはマイナス、プラスはプラスのまま。

 

真我を知った時に全くそこが変わる。

そういう意味では心の世界では、ここでやっていることは普通よりぐんと進んでいると、そう思ってもらえたらよいわけです。