先日、「佐藤康行の引きこもり家族支援」セミナーが行われましたが、その時に参加者の方々の学長への質疑応答を聞きながら、とても不思議な感覚になりました。
「佐藤康行の引きこもり家族支援」に参加される方々というのは、主に引きこもりのご家族の悩みを解決することが目的でしたが、多くの引きこもりのお子さんやご家族が既に家を出て社会復帰をされていたり、
何よりも感動なのは、ほぼ全員の方がお子さんやご家族の問題ではなく、ご自分の問題として、そしてご自身の真我の追究に焦点を当てておられることです。
「引きこもり」という言葉さえ消える感じがし、引きこもりやそうでないにかかわらず、
多くの親が子供に対して抱く課題であったり、すべての親が知りたい疑問を、宇宙の法則に沿った答えに気付くように、学長が導かれる様子は神業です。
※質疑応答より
質問者:子供に対する執着を取るにはどうすれば良いでしょうか?
学長:それは悪い事だと思っているのですか?その執着はまさに母の愛ではないですか?
ただ、母の愛であることは間違いないのですが、方法論がまだちゃんと掴めてないだけに感じます。
例えば、息子が「ゴミ出し」をした時に喧嘩になったとおっしゃいましたが、その時は実は最高のチャンスだったのです。
息子を自由にさせてあげる、自立させてあげる。親子の絆を戻す最大のチャンスだったのです。
何がというと、本音を言えるようになったということです。本当の事が言える、自分の気持ちが言える。うちのワークもほとんどが最初は「ゴミ出し」からやるでしょ。
まず、言いたいことを言わせてあげる。ただ、紙に書く分には喧嘩にならないけど、直接言うとそうじゃないとか、こうなってほしいとか、いろんな気持ちが出てくる。親子だから。
こうなって欲しい。
こうなって欲しいと言うのがまさに執着なのです。
息子がいろんなことを言い出したら、息子が自由になってきている証拠なのです。それはお母さんが望んでいる事じゃないですか。
自由に文句も、意見も言えるようになった。その時がチャンスだから、どうしたら良いかというと、感情も出るけど、それは次なるお母さんの試練なのです。
グッと堪えて、聞くことに徹する。
「そう、そう」「ああ、そう、そう思ってたのね。もう少し聞かせて」って、全く聞くことに徹していけば、違いますね。
違う意見があると言うことは良いことなのです。親子でも同じ意見にする方が不健全なのです。
だから、私のところで真我を開発するというのは、みんな神なる心、内なる心、最高の心があるのですよという事を理解してもらって、あとはそれを出すことをしてもらうということなのです。
息子さんと話した時に、むしろゴミを出させるような気持ちで、ちょっと腹を据えてやってみたらどうでしょうか。
質問者:はいそうだと思います。感情的になってしまって。
ただ息子に、『お母さんはあの時話を聞いてくれなかった』とか『聞いてもらえなかった』『あの時は戻ってこない』と言われるので・・。
学長:そうですね。そのために真我をやっているのです。
しかし、息子さんが『あの時話を聞いて欲しかった』と言うのは、『あの時』ではないのです。
今なのです。あの時と言っているけど、今なのです。
今から大丈夫なのです。
今は息子さんと会話がないと仰ってましたが、今そう言う気持ちになったのであれば何か奇跡が起きる可能性がありますよ。
まず、今この瞬間にそういう心になれるようにする。
テレパシーが通じる、エネルギーが通じると思ってください。
耳です。耳です。口より耳です。