一番大事なのは認めること

 

※本日の「スペシャルグループカウンセリング」での講話より

 

学長:皆さんは、先ほど真我に出会ってからの「ゴールデンロード」を書きましたね。

 

この真我、真の我を意識しただけで違うわけです。この真我の道は、この道を歩めば恐ろしいほど運命が良くなる。

 

当然、違う道もあります。この真我という言葉を、それほど分からない方もいるかもしれませんが、真の我、あなたの本当の自分は神そのもの、愛そのものであり、無限の力であり、あなたの中に既に眠っているわけです。

 

あなたの中に、神社があり、仏様もいるわけです。それに目覚めていく。

 

医療でも本当は真我に目覚めるのが究極なのです。

教育でもそうです。教えで頭をいっぱいにするのではなく、引き出していく。能力を引き出し、個性を引き出し、やる気を引き出す。

 

そして宗教でも真我の目覚めは究極なのです。教祖様でも真我に目覚めているとは言えないかもしれません。

 

この真我に目覚めていったら、凄まじい勢いで運命が大好転していきます。

大好転するんだけど、大事なことがあるのです。それは認めること。

 

認めなければ、存在しないことになっちゃう。認めた瞬間から、それがどんどんスピードアップしていく。

 

皆さんにゴールデンロードを書いてもらったのは認めてもらうためです。

 

真我に出会って、ゴールデンロードに行くということは、もしも出会ってなければ怖いですね。

 

真我というのを、ここまで極めてやったのは私だけだと思います。真我という本で100巻全集も出しました。

 

ただ、分かるように説明しなければいけない。だから、月に喩えて、三日月という月はないでしょと説明しているのです。

 

あんな欠けてる月は宙に浮いているわけはない。月はまん丸。常に満月だと。私たちの目にそのように映るかどうかだけ。真我も同じ。

 

三日月の反対側は見えない。見えないで三日月と思っている。本当は丸いのに。見えないものは認めない。それはまずいですね。

 

真実は丸いのですから。だから私はこちらの見えない方を、陰で隠れているから「おかげ月」と命名しました。

 

影の月。おかげ月。

 

この三日月も何も見えなくて、全部真っ暗だったら、それを新月と言います。

 

新月で生きていくのか、三日月で生きていくのか、それとも満月で生きていくのか。

 

どうですか?これは決まっていますね。

 

物事が起きて、それを新月で捉えるのか、おかげ月で捉えるのか、三日月で捉えるのか、満月で捉えるのか。

 

良きことと思われること、悪いと思われること。全部満月で捉えたら、そうなっていくのです。

 

もしも今回、人生で最悪と思えることが起きても、もしかしたら最高かもしれない。

あなたがそう捉えているだけで、物事をどう捉えるかによって違うわけ。重いものを持たされて、最悪だって。

 

でもこれによって筋肉がつき鍛えられる。その筋肉は後々使える。そのように瞬時に捉えられたら、すごいでしょ。

 

できるんです。今までの心理学や宗教や成功哲学とは違うのです。瞬時にそのように解釈できる。

そして、そのような顔つきになる。そのような言葉になる。そのような行動になるということです。

 

でも、どうしても嫌な思いが出て仕方がない時は、普通は人に迷惑をかけるから押さえるでしょ。私はそれをあえて出させる。

 

それをゴミ出しと言って心のゴミを出すのです。なぜなら、心のゴミを掘っていくと、一番奥に黄金が眠っているからです。