学長 : あなたに見えようが見えまいが、月はもともとまん丸なのだ。これが「認識」と「実相」の違いなのだ。月にまん丸を求める必要はない。なぜなら月はもともとまん丸なのだ。ならば、いかにするか。
三日月を見る。三日月を見て「まん丸、まん丸」と唱える。見えるのはどう見ても三日月。あなたの目に映る三日月に、「まん丸、まん丸、まん丸……」と唱えると、次第にまん丸に見えてくる。さらに、「まん丸、まん丸、まん丸……」と、一晩中言っていたら、間もなく夜明けになり、月がくっきりと見えるようになる。まん丸な月が現れてくる。
認識世界が変わるのだ。時がそのようにしてくれる。これが相手に完璧を求めないということなのである。もともと完全で完璧だから、完全完璧から全てを見る。これは、相手に完全で完璧を求めることではない。
なぜならば、相手はもともと完全で完璧なのだから、自分にも完璧を求めることではない。なぜなら、あなたはもともと完全で完璧なのだから。
「完全で完璧だ」と、言い続けている間に完全性が浮き出てくる。まん丸が浮き出てくると三日月が消えてまん丸になる。半月が消えてまん丸になるのだ。
「まん丸になったらいいな」ということではない。「まん丸だったらいいな」と願いを持ったら、まん丸じゃないと言っているのと同じことになる。
「もともとまん丸」と断定するのだ。今まで「欠けている」と思っている。その脳を使っていたのだ。しかし、「完全で完璧だ」という脳は全く違う脳なのだ。
人間は今まで使ったことのない脳を開拓するのだ。これは、分かったようで分からない世界。しかし、わからないままだったら、わからないままで一生終わってしまう世界になる。
こんな発想は世の中には無い。無いから伝えなければならないのだ。


