※今から10年ほど前のスタッフと学長の質疑応答より
〜難問のほうが良い〜
学長 : さらにここからもう一歩先に行くとしよう。あなたにとって最も忌わしい出来事、あなたにとって耐え難い出来事、あなたの人生の履歴書から、消してしまいたいという出来事。その出来事を「消したい、消したい」と思えば思うほど大きくなってくる。
あなたの中でどんどん大きくなってくる。それが意識というものだ。
「これで良かった」
「これがあって良かった」
良かったことをどんどん書いてみる。良かったと思えない。思えなければさらに書く。まだ思えなければ、もっと書く。
これが難問であればある程、良かったが増えていくことになる。良かったことを増やす。もっと増やす、もっともっと増やす。良かったことがさらに増えていく。辛ければ辛いほど良かったことが増える。苦しければ苦しいほど良かったことが増える。
だから、難問の方が良いのだ
辛ければ辛いほどいい。苦しければ苦しいほど良いのだ。難問が無かったら「良かったこと」は無かったのだ。良いことが増えたのは難問のお陰。
苦しいことのお陰。良かったことが増えれば増えるほど、辛かったこと、苦しかったことが相対的に小さくなるのだ。小さくなりながら、さらに価値が出てくる。
消したいと思うこの嫌なこと、消えてしまったら良いことが増えないわけだ。だから、消えてもらっては困るのだ。苦しいお陰で良いことが増える。忌わしいことのお陰で良いことが増える。ゆえに、苦しいことの価値が出てくる。忌わしいことの価値が出てくる
こんなとらえ方を今まで誰がしただろう。今だかつてだれもこのようなとらえ方はできなかった。忌わしいことをゴミだとする。腐ったような生ゴミだとする。良かったことが増えていくと相対的にその生ゴミが小さくなる。
そればかりか生ごみはダイヤモンドに変わる。ダイヤモンドに変わった時に、その生ごみは消える。消さなくてもゴミがダイヤモンドに変わるのだ。
消さなくてもいいのだ。消す必要は無いのだ。あいつは消えてもらいたいと思っている人がいたとする。しかし、あいつに消えてもらっては困るのだ。恨んでいた人がいたとする。恨んでいる人を「恨んでいて良かった」と書く。
その人との人間関係は最悪だったけど、それで良かったとただ書く。すると、最悪な関係がそのことによってこんな良いことがあった。その人を許せる大きな心になったと、良かったことをただ書いていく。書いていくうちに良かったことが増える。
すると今まで恨んでいたはずが感謝に変わる。感謝に変われば、当然衝動が出る。この衝動が、行動になるのだ。
行動が、現象を変えるのだ。


