壁とレンズ その2

 

学長:真我をやっていると周りの人がどんどん変化していく。しかし、それを自分の能力、自分の技だと思っちゃダメなのです。

その良いところを取っちゃうとダメなのです。いいとこ取りしちゃダメなのです。

 

まさにレンズになりきって透明になり切ると、本当の意味で奇跡のようなことがどんどん起きてきます。自分の手柄にしちゃダメなのです。手柄そのものが我なのです。

 

ここがポイントです。一番危ないです。自分のことで喜ぶのではない。その人のことで喜ぶのです。ほとんどの人が陥る落とし穴です。これが続いていると人間が変わってきます。

自分が褒められたから、認められたから、感謝されたから奉られたから。

 

私はいろんな例で、添乗員だとか郵便局とかと言っているのです。添乗員は景色を作るわけでない。景色に案内しているだけです。

郵便局は、感謝の手紙が来ても郵便局に感謝をしているのではない。その感謝する人に手紙を届けてあげる。その郵便局の人に「ちゃんと届けてくれてありがとう」というかもしれない。

 

添乗員さんには「ちゃんと案内してくれてありがとう」と。そこに、良い景色の前に添乗員が立ったらダメなのです。邪魔をして景色が見えない。だからどけてあげないといけない。

景色は自分とは関係ない。「素晴らしい絶景ですよ。どうぞ、みなさん堪能してください。」そういう感じです。

 

自分の客を逃さないためってやっていると、どこからか念波がきて、念波がブレーキになるのです。集客にしろ何かを邪魔してる。見えない念波なのです。それを相手に感じられる。

 

ここでやっていることは、最初から全地球、全人類が相手なのですよと。真反対だと苦しくなったりするのです。一生懸命頑張ってても全然真反対に頑張っていたら、引っ張り合いになるじゃないですか。引っ張り合いになったら前に進まないじゃないですか。

 

同じ方向を向くのです。個人貢献、家庭貢献、会社貢献、国家貢献、全人類貢献、そして生命体貢献が一つになる。一つに向かっていくと、どこから見てもまともになる。

だんだん、だんだん自分のため、自分の金儲けのためということは個人貢献だけになる。だから当然普通の人から見たらそんなもの普通のビジネスじゃないか、好きにやってたら良いじゃないかって思われる。

 

もっと徹底する。私の話はエネルギーなのです。聞いているだけで変化するのです。先日も3年間耳鳴りだった人が、私の話を1時間聞いていただけで耳鳴りがスパッと消えたと言ってました。涙ながらに報告をしてました。

全盲の老人の目が見えるようになったり、エネルギーとしか言いようがない。理屈じゃない。人間の中の究極の免疫力が出てくる。

 

レンズになり切るのです。レンズになりきって、私のこの言葉を背中から透明になりきって、それを一点に向けていく。

そうするとぼっと火がつくようにバっと真我が開いて、そして世の中に通じていく。

 

レンズになり切るのです。大型レンズになり切るのです。

 

真我でできないことはないと、三十数年、私は体験してます。わからないのは反対の心があるからです。

こちらの方向に、佐藤康行の方に進もうと思っても、自分の考えで、手綱を後ろに引っ張っているのです。前に進めない。空回りになる。終いには全然違うことになってしまうのです。