「前提」という大事な言葉

 

※学長セミナーの講話より

人間の五感。視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚などがあります。この五感で捉える。

目もない、耳もない、感覚器官全てがなかったら、この世のものは自分の認識から消えていきます。 認識からは消えていきます。

 

認識から消えていっても、そのものがないとはいえいません。 あくまでも私たちの五感で捉える認識でなくなってるだけです。 

全部の五感がなくなって、五感がある人に「何で分からないんだ」と言われても、 本人は五感で感じられないんですから、ないじゃないかと。 

 

「あるじゃないか」「ないじゃないか」「あるじゃないか」と言っても、一致した答えは見いだせません。 

 

私はその意味で、どのように捉えるか、言葉が大変大事になってきます。 その時に、どうしても取っておかなければならない大事な言葉があります。 これは私の中で大事な言葉です。 

それは「前提」という言葉です。前提。 

例えば、五感で感じられない人は、五感で見れる人を、ここにこういうものがあるんだと。 でも、全て五感がないから、あるということが分からない。 

でも、あるという前提に立ったとしたら、違ってくるはずです。 

自分の感覚器官だけで捉えていくんじゃなくて、感覚器官では捉えないけど、 あるという前提として捉えていったときに、接し方や何かが違ってくる。

怪我をしないで済むかもしれない。 見えないものは、感じられないものは、 捉えきれないものは「前提」という言葉を、私はずっと大事にしてきました。 

 

自分で捉えきれないものを「ある」と言い切った時に、 間違った「ある」になっちゃう可能性がある。

ですから真我=神と言っていい。 

真我=仏そのものと言ってもいい。 

 

私たちのこの五感で捉えたときに、私も皆さんも普通の人間にしか見えません。 

しかし、この宇宙の真理そのもの、真我そのもの、神そのものという前提で捉えていったときに、 扱い方が変わってきます。