頂上から出発する

 

※学長セミナーの講話より

 

学長:命の根源からやっていくということです。 命の根源。極地の認識。 実相の世界、真我実相の世界、そして、この現象の世界。 

極地の認識と私が捉えてるのを、なるべく分かりやすく皆さんに理解していただきます。 

いうならば、高い山があるとするでしょ。  普通、過去私たちは、低い山のふもとの方も頂上の方も中腹も、 実は私たちの中にあるわけ。全部どちらも。 

その頂上が真我だと思ってください。それは最初から私たちの中に存在してるわけです。 過去の偉い人たちは、その頂上を目指して。 

悟りを目指して。悟るというのは、シンプルに言うと「分かる」ということです。 「分かる」ってのは、私という存在はどういう存在なのか。 どのように生きているか、分かる。悟る。 

その頂上にまで上がる年数。何年かかるのか。10 年なのか、30 年なのか、100 年なのか。 100 年ぐらいになると、ほとんど人間はいなくなります。 

でも、私たちの中にその頂上が存在してるなら、 頂上から出発してもいいんじゃないかというのが佐藤康行の究極の合理性です。 『頂上から出発する。』 

これは今、私が初めて言う話じゃないんです。 

実は最初から、真我を開発するというのは、名前は、看板はそうでしょ?  「真我から出発だ」という意味です。 

 

偽我から出発して真我を目指すのではないのです。 偽我から出発しようとしたら、何かの余程死ぬほどの思いして、その偽我がぶっ飛んじゃって真我が現れてくる場合もあるかもしれません。 

 

でも、偽我を極めていったら、偽我が大きくなるだけであって、真我にはいつまでたっても、 むしろ遠ざかると言ってもいいでしょう。 

 

偽我から真我に頂上を目指していくのではなくて、頂上から逆に偽我に向かっていく。 偽我で作られたものに向かっていく。心の逆転の発想です。 

 

ですから、真我から。以前は真我開発 一本だけです。 その意味で、未来内観は一回死んでもらって、本当に疑似体験をしていただくというか、 臨死体験をして本当に死んでしまったらいけないですね。生きてるうちに疑似臨死体験をしていただく。 

そして、神から見ていただく。 

前は、未来内観、死から生を見るのを普通編だとしたら、 神から見させる宇宙無限力を上級編と言ってました。 

 

天使の光も真我瞑想も真我プロカウンセラーも、その意味では全く同じです。 その意味では、頂上から出発してるということでは、全く同じだということです。