「認識と実相」

 

※今から10年ほど前のスタッフと学長との質疑応答より

 

学長:心は変化している。その変化するものを自分とすると、定まらないからいつも不安になる。この自分の揺れ動く暴れる心をどう安定させるか。過去の偉人たち、聖人たちがそこに取り組んできた。

 

自分を制した者が世界を制する。揺れ動かない不変の自分を自分と見なせたら、人類の着地点が見える。我々が何かをとらえるとき、「あの人はこういう人だ」「この出来事はこういうことだ」と認識をする。

 

同じ人を見ても見る人によってとらえ方が違う。同じ出来事があっても人によってとらえ方が違う。人間は五感で感じる世界で認識している。動物は、目でなくて皮膚で触れて認識したり、ひげで認識したり、耳が中心で認識したり、いろいろな器官で物ごとを認識している。

 

認識して「そのものだ」ととらえる。その認識も、あなたの過去の経験、記憶、そういうものを元にしている。人によって全部、認識は違う。同じものを見ても、人によってとらえ方は違う。国によって、人種によって、過去のいろんな体験によって、常識によって、教育によって、学んできたことによって、すべて物ごとの認識というのは違っているのだ。

 

例えばエレベーターに乗る。初めは、乗ったそこだけの景色しか認識できない。しかし、だんだん上がっていくと違う景色を認識する。もっと上がると、街中が見えてくる。もっと上がると、日本が見えてくる。もっと上がると、地球が見えてくる。その見えた位置から我々は認識しているのだ。

 

故郷も、そのなかに住んでいた時の認識と、遠くから見た時の認識は違う。自分の故郷を、今、ここで思い出した時と、故郷に帰って思い出した時は違う。

 

小さい認識でいくと。そこには対立が生まれる。日本だけのことを考えていると、他の国との対立が生まれる。地球全体で考えると、国同士の対立は生まれないが、他の星との対立が生まれるかもしれない。

 

どこまで行っても対立が生まれる。それが認識なのだ。日本も昔は国取り合戦をやっていた。それは、やはり、小さい単位でとらえていたからだ。

 

認識のとらえ方、小さなとらえ方、それを「相対的」という。一番大きいとらえ方というのは「絶対的」なとらえ方なのだ。それが、「実相の世界」である。宇宙から見たら、地球も宇宙も、みんなひとつしかない世界。「実相」の世界。