※今から10年ほど前のスタッフと学長との質疑応答より
学長 : 人は完全で完璧。全ては神として完全で完璧である。そう断定して言い切るのだ。すると、不完全な心は自動的に修正される。それを繰り返すと、自分が今まで使ったことのない脳が開発されてくる。
この完全で完璧とは、人間が考える完全とか完璧ではない。例えていうなら、夜、月を見る。三日月がある。半月がある。それは人間の認識なのだ。月には三日月も半月も、もともとそんな形はない。月はもともと丸い。どう見えようが月の本当の姿はまん丸なのだ。これが実相なのだ、ただあなたの目に三日月と見えるだけ。あなたの目に半月と見えるだけ。
あなたが三日月を見ていた。
「お月さまってどういう形」と尋ねられたら、三日月の形を書くだろう。
それが認識というものだ。
「月は本当は丸いのだ」と誰かに教えられた。月が丸いのなら、欠けている部分を、どこかから仕入れてきて足さねばならなくなる。
だから外から足して丸くしようとする。三日月は丸い月が欠けたようにしか見えない。この欠けた三日月の人たちを、何とか助けてあげなければ、何とかしてあげなければ、「この人は欠けている、欠けている」と、いつも思っているあなた。
本当はどちらに問題があるのだろうか?
もともと神として完全で完璧なのだ。救ってやろうという発想ではない。救ってやろうという発想は欠けた月に何か足してやろうとしていることである。
「あなた、これ欠けているよ」
「まん丸じゃなきゃ駄目だよ」
「ここが欠けているから、何とかした方がいい
私が手伝ってあげようか」と平気で言っているのである。
自分が上になっているのだ。その人を見下しているのだ。その人に問う。どのようにしてまん丸にするのか。もともとまん丸なものを……
しかし、人間は今までそのようなことをしてきたのだ。月はもともとまん丸なのだ。ただ、あなたの目にまん丸に見えなかっただけなのだ。


