※今から10年くらい前のスタッフと学長の質疑応答より
学長:神とは真我。霊とは心も含めた霊体。体とは肉体。
そのどれをあなたは自分だと思うのか。一番奥の「神」だけを自分としてみる。霊である人間の心は恨む心、憎む心、喜ぶ心、いろいろな自分がいる。
その中に最も神に近い自分がいる。真我の愛を表現しようとするとき、そこには邪魔になるものがある。その邪魔になるものが薄くなると、そこには一番近い愛が見える。それが先祖であり父母であるのだ。その最も神に近い自分が、神に近い先祖を連れてくる。
その最も自分を愛している先祖を引き連れて、愛と感謝と喜びの言葉が自分の口から出てくるのだ。例えて言うなら、ここに石ころのダイヤがある。もうひとつは一億円のダイヤに近いものがある。本物の一億円のダイヤモンドを、そこに磁石として入れる。するとその本物の一億円のダイヤは最も近いものをくっつけてくる。
鎌倉時代も縄文時代の先祖も、先祖としてはすべて同じである。しかし我々の脳は、記憶している先祖が全ての先祖の代表となるのだ。先祖の真我がある。先祖の真我は過去の地球上にいた全ての先祖が同じ。
同じ先祖だが何故我々には、自分の先祖や父母が出てくるのか、我々の脳はいちばん近いものが浮かぶ。あなたのお父さんお母さんが、一番近い先祖なのだ。いちばん浮かびやすいのだ。
お父さんが出た。お母さんが出た。先祖が出たというのはそのような原理である。神に最も近い霊体を選んでくる。それが父母、祖父母、先祖。それをあなたの脳が選んでくる。それを引き連れてくるのだ。
そこは、ただただ愛の世界。隙のない世界。我々は、究極の愛を自動的に選んでいる。じつは先祖も全部自分だ。動かない自分は、その一番向こうにある。一番神の愛に近い部分が、それを引っ張って出てくるのだ。それを選んで出てくるのだ。
真我は神から遠いものを選ばない。神に近いものを選んでくる。真我にいちばん近いもの、それ以外は幻影なのだから、ぱっと瞬時に消える。間の遮るものが消えていくから。ピタッとくっつく。
真我しかない。全て実在しかないのだ。真我が選んでいるのだ。あなたの中に、選ばれない自分がいたら苦しくなる。選ばれないものが何かというと「カルマ」。
まだあなたがそれを自分だと思っているから苦しいのだ。それは自分じゃない。苦しくなるような自分を自分が連れてきている。自分がそういう自分を選んでいる。自分の中にいるのだ。そういう人を選んだのだ。しかし、それはないのだ。
ないものは幻影だから、そこにひとり映ろうが1000万人写ろうが、幻影は幻影である。それは消えるのだ。無いからぱっと消える。そうしたら苦しみもなくなるのだ。瞬時に消えるのだ。カルマは無いから選べない。そして消えるのだ。
「私」というのは真我だけ。ゆえに、そこには隙間がない。


