真我を体現していくことは、自らが光り輝き他人も光らせていくことですが、
そのように行動していくと、多くの人に真実を伝えられるようになります。
真我を開き、意識次元が上昇すればするほど、愛が広く深くなるからです。
愛は、子どもでも社会人でも誰もが求めているものですから、意識が上がれば上がるほど、誰にでも伝わりやすくなるのです。
例えば、同じことでも、子どもには子どもの背丈に合わせて伝えることができ、大学生には大学生の求める話をしてあげることができます。
そして多くの人にその真実が伝えられるのです。
愛が深くなると考えが深くなり、愛が広くなるとより多くの人を愛せるようになります。
そのようにあらゆる状況に応じて自在に対応できることが、愛の広さの証明でもあるのです。
そこには、自分という形ではなく、相手の立場に変化自在になれるという大きな愛があります。
一番狭いのは自分しか愛せない(=個体意識、エゴ)、あるいは自分さえも愛せないということです。
たとえ一人で悟りを開いたとしても、その悟りを実践に生かすための知恵がなければ本当の愛にまでは昇華しません。
知恵と実践が結びついていかなければ、愛とはいえず、愛が知恵に変化し行動に変化しなければ意味がないのです。
陽明学でいう知行合一、“知って行わざるは知らざると同じ”です。
神の知恵を行動と合一させるわけです。
大切なことは、実践であり、真我を体現し他人も光らせていくことなのです。
会社の人間関係において、もし、職場の居心地が悪いとしたら、
それは自分の意識レベルと他の人たちとの意識レベルがあまりにも違い過ぎるということかもしれません。
他の人たちよりも自分の方が明らかに意識が上だとしたら、そのときには、周りに合わせて自分を謙る必要はありません。
逆に、もっと自分自身の意識を上げれば良いのです。
自分の意識をさらに上げると、その職場の居心地がさらに悪くなることもあります。
しかし、それで良いのです。
そのときには、その職場には居られなくなるかもしれませんが、他に行けば良いのです。
または、他の人たちを導くだけの力を持てば良いのです。
意識が上にいくほど調和の世界になりますから、下の人たちを引き上げることができるようになるのです。
どんな環境にいようとも、自分の意識をさらに上げていくことに努めるべきです。
そして、高い意識を持っている人がリーダーになるべきです。
そういう人が下のレベルに合わせてしまうと、大変息苦しくなってしまいますから、
遠慮なしにさらに意識を上げ、意識の低い人たちを引き上げるのです。
自分で環境を変えてしまうのです。
意識が上がれば上がるほど調和の世界になっていきます。
調和の世界にいれば健康にもなります。
人々を導く仕事をしていれば、そのこと自体が使命そのものですから、元気もどんどん湧いてきます。
もし、他人の悪口を言って喜ぶような人たちの中で、自分一人だけがその輪の中に入らないでいると、
そのことが周りからすると不調和になってしまいます。
しかし、その人たちを本当の調和された状態に導くことができれば、全体が調和の世界になります。
他人を導いていくと、自分自身もクオンタムジャンプすることができます。
導くという行為自体が愛だからです。
かなり低い次元の人を導くことができれば、それはそれだけ愛が大きいということです。
実は、これが本当の使命の発見なのです。
しかし、現実にはいくら自分の意識が高くても、意識の低い人たちの思いが強ければ、そちらに引き込まれてしまいます。
そこでは数の論理がものをいうのです。
その大多数の想念に打ち勝つ方法は、真実を実証することです。
真理は、たとえ地球上の全人口70億人対1人でも1人が勝つ可能性があるのです。
コペルニクスが地動説を唱えたときは、世界の人々が反対の考えを持っていましたが、
彼は真実を証明してみせ、全世界の人たちの認識を180度変えてしまいました。
真実には誰も反対できません。
真我は愛であり真我を開けば、自然に人を導いていくようになります。
苦しんでいる人が目の前にいたら、自分は真我を伝えずにいられなくなるのです。
逆にいえば、まだ人を導くことに迷いがある人は、それに比例して真我の開き方が浅いという言い方ができるかもしれません。
そういう人は、まだ自分のことを優先してしまうエゴの部分の方が強いということが、示されているのかもしれません。
人を導いていくことが自分の使命だと意識している間は、そこに少なからず義務感のようなものがありますが、
自然に無意識に導けるようになれば、いよいよそれは本物になってきた証拠です。
多くの人たちに本当の愛に目覚めてもらうことが一番の喜びになるはずです。