物事の、一つは認識する時、「知る世界」っていうのがあります。
人から聞いたことを知る世界。学校の勉強も全部そうですね。いろんなことを、過去の出来事、歴史、数学、国語。いろんなことを、聞いたことを頭に入れて、その知ったことを足して答えていく。
これは、知ってることは答えれるけど、知らないことは答えられないという欠点があります。長所は、知ってることはちゃんと誠実に答えていく。
信じる世界。「信じる者は救われる」と言われますね。
これは、長所は早いんです。「私はあなたを信じます」って、そうだったら全容を受け止めるということです。
その人の全部を、全ての全てを知ってから結婚するったら、一生結婚できないでしょう? その会社の全てを知ってから会社をやったら、一生就職できないわけです。採用する側も同じです。
長所は早い。
欠点は盲目になっちゃう。そのまんま信じちゃったら、めくらみたいなものになっちゃう。
これは、長所は早いけど、欠点は盲目になっちゃうということです。
もっと便利なものはないのか、人間のこの体で。
それはみえる世界。みえる。物事の捉え方。みえる。この「見える」でも、こういう「観える」がある。これは、この肉眼で見える。これはどちらかというと心です。心が観える。
観自在ってね、お経の中に「観自在」ってあるでしょう? 物の見方は自在なんですよ。悪くも良くも、何とでも捉えられるんですよ。
だから、悪いと思われる出来事を「ありがたい」という出来事にスイッチを変えることが可能なわけです。
過去の出来事も今の出来事も未来の出来事も。観える世界を全部変えることができる。
50階建てのビルがあるでしょう?
1階から見る景色と5階から見る景色と30階から見る景色と50階から見る景色は全部違うでしょう? 同じ場所なんです。
同じ場所なのに高さによって景色が全部変わって見える。
人間の意識も同じだと思ってください。意識は次元の高い捉え方をした時と、底辺で見た時は違うわけです。観自在。自在なんですよ。
(明日に続く)