今日やることのポイントを、まず話そうと思います。
私たちが物事を理解する時には、「知る」という世界があります。
「知る」というのは誰かから聞いた情報です。読んだ本、先生から学んだこと。自分の目から、耳から入った情報。そのことで理解する。科学も全部そうです。学校の勉強も全部そう。
これは、欠点と長所があります
知ってることはそのまま答えられる、知らないことは答えられない、判断できないという欠点があります。
信じる世界。
信じる者は救われる、よく分からなくても信じちゃう。これも長所と欠点がある。
「信じる」というのはパッと「私はあなたを信じます」と早いわけです。
でも、長所は早い、欠点は盲目になっちゃうということです。物事を皆さんが判断するときです。知ってることの情報で判断するのか、信じて判断するのか。
「みえる世界」。観自在です。
物事の捉え方、見え方が自在にできるんですよ。
つらいと思われることが、実は自分に対して大きな試練でありがたいことだと受け取れることができるわけです。
例えば、まずい物を食わされて、「うまいと思いなさい」と言われても、まずい物はまずい。嘘を付けと言うのか、というのがあるでしょう?
自由自在なゆえに、逆に不自由なんです。自分に振り回されちゃうから。
いろんな心の病なんかはほとんど自分で自分に振り回されてる。自分から湧きあがるいろんな思い、不安、心配、ねたみ、嫉妬。そういう自分に振り回されて、「あの人はこう思ってるんじゃないか」とかね。「思ってるんじゃないか」とまで思って悩んじゃう。「みんな僕のこと、笑ってるんじゃないか」とか、妄想に振り回されてるわけ。
今日皆さんに伝授するのは、このどれでもないどれでもない。どれでもない。
これは当て字です。「神える。」
空に三日月がある
でも、こんな月は宙に浮いてないですよね。
月は常に真ん丸。ロケットで近づくと、自分が見える世界よりはるかに大きな球体だと。
私が言う、この「神える世界」。
月はこんなに大きな球体だ。そういうことをみえる。
月の実相があるわけです。月は真ん丸の大きな球体という、私たちの目に見えなくても、そっちが真実なわけ。
私たちの見た目は、どこをどういう見方をしても間違ってるわけ。
これが見える、これは肉眼じゃないです。心眼、心の目でもないです。
これが見えるようになった時に、相手は全部100万点というふうに設定する。そのように扱う。鏡に映る姿を、その奥にある神を見る。
すると、全ての人間がその場から変わってくる。
(佐藤康行の「ニューヨーク講演会」より抜粋)