愛をかぶせる

 

※セミナーでの受講生と学長の質疑応答より

 

質問者:子供に愛をかぶせるというところで、私もよくかぶせてると思うのです。

その時に「戦争の後遺症」ということを学長はおっしゃられたことがあるんです。そこのところをもう一度教えてください。

 

学長:そのように捉えて、戦争っていうのは敵か味方で、昔は領土の奪い合いしてました。国取り合戦ってしてました。

 

とにかく相手を屈服させて、そして自分の領土にして。そして、自分の、例えば共産主義であろうが宗教であろうが、そういうものに、同じ一色に染めようとしていくことのもとで戦争になったことが多いじゃないですか。

 

そのまんまの勢いで、ビジネスの社会でも、そして相手を屈服させて、自分の会社を伸ばそうとする。そういう本能があるわけです。そのことによって、当然勝った者もいれば、負けた者も出てくるわけ。会社の中でも、勝った者と負けた者が出てくるわけ。

敗北者みたいなのもいるわけです。いじめられる者、いじめる人もいるわけです。

 

そういう部分から起きる出来事というのは、やはり最初から全部味方で、全てが一つだという捉え方と真反対です。

そういう部分の DNA に刻み込まれた心でやっていると、やはりそのやり方でしか分からないわけです。物的に捉えてしまう。

 

愛さえも物的で捉えてしまう。こういう愛が最もいい愛だって、子供にも通じるし、夫婦にも通じるんだと教わったら、その愛で行くと、相手は全然その愛を感じていない。

 

全然違うことを望んでいたら、あとは力づくで、「俺はこんなにおまえのことを思っているのに」ってなるわけです。

そうすると、「愛」という言葉は同じだから、ますます愛という素晴らしいと思われるものを相手は言ってるし、絶対に相手は、先ほどの焼き火鉢の喩えのように、悪いことしてると思わないわけです。

 

自分はいいことしてるんだと。本人もそのように、お母さんがこれだけ三日月がいいんだったら、三日月を演じるようになるわけです。

それが愛だと思っていたら、その三日月になることが、お母さんがそういうふうに私に言うなら、そのように演じていくわけです。知らないうちにですね。

められたいから。だから、お母さんが思うように、お父さんが思うように、なろうとしてしまうわけです。