※受講生と学長の質疑応答より
質問者:相手は神で完全完璧だと思えない時というのは、相手の業を見てしまってる。
大前提だとなれば、今、自分は神として見れないけども、「この人はやっぱり神なんだ。完全で完璧なんだ」と言い切っていくということが、学長がおっしゃってることなのかなと捉えてるんですが、これでいいでしょうか?
学長:仏教の中に「煩悩即菩提」という言葉があります。神として捉える。でも、なかなか実感がないです。
実感がないけど、例えば今、業とかカルマとかって言ったでしょう? その業とかカルマによって、そのことによって神に捉えられる。
例えば、病気によって、怪我によって本当の真我に目覚められる。そのきっかけで目覚められる。だから、病気もけがも愛として捉えることは可能です。
だから、業もカルマも全部愛の変形だと。神の変形として、煩悩即菩提だと。
その問題が、その嫌な所が神に目覚めさせる一番大事なきっかけになる。そのことがあって、神に目覚めることができる。神として見られるようになるということです。
質問者:相手の嫌な所が見えるということは、まさに自分から出てきたもので、結局相手は関係なくて、全部自分のことなのでしょうか。
学長:そう捉えてもいいんですけど。みなさんにちょっとお聞きしますが、ここに来る前、ここに来た時に、やっぱり自分の問題、煩悩とかいろんな苦しみがきっかけで来た人?はい。ほとんど全員です。
ということは、相手も同じではないですか。それは、そのことによって目覚めるきっかけ、それは敵じゃないということです。相手も全く同じだということです。


