花と汚物 ~その2〜

※セミナーでの受講生と学長の質疑応答より

 

質問者:家族や職場での人との関わりの中で、おせっかいと言われたり、関わらないようにしたり、どのようにしたら良いかわかりません。

 

学長:今、花と汚物と言ったでしょ。花も汚物もその向こうは神だから同じなのです。

花と汚物に対してやっているのではないですか?花のように綺麗になりなさいとか、向こうの神を相手にしていませんね。

 

どっちも同じなのです。ここで私がやっていることから見ると、どちらも同じなのです。「あなたは汚物だから、ちゃんと綺麗になりなさい」というと相手は気分が悪いでしょ。

花なのに、花を素晴らしいというと向こうが見えなくなる。どちらにしても上手くいかない。

汚物も花も見ない。向こうの神だけを見る。

 

だから、ここでやっている真我のカウンセリングは、きちっとやっていると全部うまくいくのはそっちを見ていないから。相手が良い人とか、問題があるとか問題がないとか、そちらを見ているでしょ。

それで私がなんとかしてあげると。それが余計なお世話になっちゃう。

分ければ分かるほど、余計なお世話になるわけです。分からなくても、なんとなくやってもらっていると思っているだけで、本当は何か不満を持っているかもしれない。

 

どんな人にも上手くいくのは、その汚物や花を見ない。その向こうを見る。百発百中の世界。一般論の話ではないです。一般論の人間関係の話ではないのです。

 

質問者:具体的にどのようにすれば良いのでしょうか?

 

学長:分からなくても分かっても、分からない。どうするかというのは、求める気持ちを強く持つことです。

 

そうすると私に対する姿勢が変わるから。ここに同じように同じ空間にいても、命を預けるよな気持ちの人とそうでない人、分かったら良いという人とでは差が出るのです。

そのための質疑応答なのです。本当に分かってないから、必要なんだと感じられる、己を自ら知るための質疑応答なのです。