※受講生と学長の質疑応答より
質問者:相手を神として見るっていうことに対する理解が合ってるかどうか確認したいんですが、
神として大前提で相手と接したときに、当たり前のごとく、自分の思いとか、いろんな考えとかがどんどん出てくるんですけれども、
その自分の思いとか、そういったものを相手にしないことと、相手を神という大前提で見るっていうところは同じと考えていいですか。
学長:そのように大前提でしたら、そういう心も変わってきます。
自動的に変わってきます。相手を神として扱えるのだから、自分から出てくる感情も違ってくるわけです。
前の印象で出てくる、例えば恨みつらみがいっぱいあるとするでしょう? 「このばか野郎。いつか何とか仕返ししてやろう」と思う心で接したら、当然それに対するものが出てくるでしょう。
でも、それでも相手を神としていったら、当然相手も変化してくるから。そうすると、それが薄れてくるじゃない、恨みつらみ、憎しみも。さらに神としていった時に、さらに向こうも変化してくるのだから、だんだん、だんだん消えていくわけです。
最終的には、みなさんが真我開発講座で、最後の一番真我が開いた瞬間。あれはほんのわずかな時間です。
例えば2日かけても、ほんのわずかな時間です。少なくとも、それを体験してますよね。「ああ、全然恨んでなかった、全然憎んでなかった、みんな愛してたんだ」って瞬間で、みなさん号泣するじゃない。
それを体験してるのです。それを日常の中でできてもおかしくないってこと。それを永続的にできてもおかしくないってことです。
質問者:結局、自分の真我が開いた、あの瞬間のあの心になるということでしょうか?
学長:あの心にならなくても、そういう大前提でいったときに、変化していきます。ただ、間違いなくそれを見てるんですから。
私は『自分の家の蔵の黄金を一回見ただけで、それは自分の物と思っただけで、違うでしょう? それをいつでも出さなくても、それがあると思っただけで勇気 100 倍になるでしょう? 』ということを言ってるんです。
黄金の蔵があるんだ、相手もあるんだという大前提。黄金の蔵が相手にもあるんだという大前提。相手を乞食みたいなもんだというふうに扱うのと、大金持ちで豊かそのものと思って扱うんじゃ違うでしょう?
でも、全然代金もらってないし、何もしてないんですよ。でも、扱い方が変わるじゃないですか。


