命の元の元から学ぶ

 

※学長の講話より

 

学長:聖書とか仏典とかって、そういうものも、そんなに私は関心がないわけです。

なぜならば、人間が考え出したものには正直言って全く興味ないんです。最初から実はなかった。そういう意味では、聖書も仏典もコーランも、全部人間が考え出したものだと。

神という言葉も使い、仏という言葉も使う。これも人間の中の自分の都合の中で使う。社会秩序を守るためとか、我々が快適に暮らしやすくするために、そういうものもあるんでしょう。

 

でも、人間が作ったものと人間そのものを創ったもの。人類だけじゃありません。この地球上に、またこの宇宙に住むあらゆる生命体、私たちが認識できるもの、認識できないもの、その生命体、有機物、無機物含めてです。

全て人間が作ったものじゃない。元の元の元から捉える。

当然、そうなったら私もみなさんと全く一人間になるだけです。特別な人間はいません。究極の謙虚さというか、人間同士の謙虚さじゃなくて、そのものが、私たちは何も分かっていないんだというところから出発する。

私も含め、何も分かっていないんだというところから出発するということです。

 

「分かる」という言葉は、私たちの脳内の中で理解するということです。「分かった、理解できました」、それでもないです。それでもない。「分かった」というのは、この命の部分、生命、この宇宙のこと。

分かったというのは、脳内の中の小さい入れ物に理解不能な大きなものを入れて「分かった」というふうになります。そういう面で言うと、「分かった」ということが一番分からないことに通じることだと思います。

 

そういう面で、この宇宙創造ともいうべき、人類の誕生から 138 億年で、誰がどのように調査したか分かりませんけど、この宇宙が誕生して 138 億年と言われています。

事実はどうかは別として。「誕生する前は、何だったんだろうな」という普通の疑問があります。地球は 46 億年と言われています。その中の私たち人類はほんの数万年、ほんの数万年。

 

ですから、その意味では数万年は一瞬とも言えるでしょう。私たちが思う、この毎日毎日生きているこの時間、一瞬の中の一瞬の中の一瞬。瞬きもできないぐらいの一瞬かもしれません。

 

人生そのものが。私たちが、この生命、命、そして誕生して、そのことを、生きているというよりも、この心臓、血液の流れ、この皮膚の入れ替わり、細胞の一つ一つ。70 兆の細胞の一つが国会図書館ぐらいの情報が入っていると言われています。

ですから、命の元の元である、命の根源である、そこから学ぶ、そこに合わせるということが大切なことだと思います。

そこで大事であり邪魔なことは、私たちの考え方や感情や、いろいろなものが邪魔になってきます。その元の元から捉えていく。答えは私たちのこの生命そのものに、全ての答えが隠されているというふうに思われています。

 

私たちの、例えばこの歯そのものも、菜っ葉を食べる歯、犬歯で肉を食べる、穀物を食べるというように、明らかに雑食だということは、ある程度、歯の中に答えがある。馬や草食動物、また穀物を食べる動物と肉食、当然、牙、歯が違います。

その中に私たちの体、命は、そのように生きてきて、またこれからもそうなっていくというふうに、答えが表されていると思う。それは考え方ではありません。

男の体、女の体、そこに答えがあると。そして、精子と卵子そこに答えがあると思います。

そこに答えがあるのに、答えを二重にしてはいけないと。答えはただ一つ。

 

その観点から見ていくと、私たちが今まで思い込んでいたこと、信じていたこと、どこかで学んだこと、そういうことが当然やはり、もしそういう誰かの考え方をもとにしたものだと、それを基準にしてみたら、いつまでたっても分からない可能性がある。

私たちは、過去学んできたものをどうしても基準で物事を考えたがる癖があります。

 

どうも私は、誰かから学んでやるとか、そういうものにはあまり興味はないのかもしれません。子供の頃から勉強があまり好きじゃなかった。好きじゃなかったというより嫌いだった、どちらかと言うと。

その謎が、ある程度年齢がいってきて分かってきました。私は誰もやったことのないこと以外に興味がないってこと。

すでに発見されたものは、その人がやることであって、誰もやってないことしか興味がないという自分に、ある年数がたって気づいてきました。