※学長の講話より
学長:先ほど山で例えました。山で、普通は頂上を目指してやる。実は頂上もふもとも全部自分の中にあるという話をしました。
そのふもとの中でやる判断と、頂上から見た判断は違ってきますよね。例えば、今の、人生から捉えた仕事と、仕事から捉えた人生は違うでしょう?
当然人生から捉えたほうが、頂上みたいな高い所から見るに近いわけ。死ぬ時に分かるわけです。自分がどういう判断をした。それが今、分かればいいわけ。
頂上から見た時に、どういう判断をするかというのが一つでしょう? その頂上から上を見たら、上は大宇宙が広がってるわけ。ここには何の問題もない世界があるわけです。
この大宇宙を見て、そしてその意識で下を見た時に判断が違ってきますよね。問題ないという判断から下していくと、例えば、男性が女性に振られようが何しようがいいんだと。
私は乞食になろうが構わないんだという判断でいくと、何も怖くないわけ。
もっと言うなら、その観点で捉えてった時に、何でも言えるようになってくるわけです。
上を見て大宇宙から問題なしとして捉えて判断するのと、下を向いて、「これを失っちゃいけない」とか何とかってやっちゃうのとは、全然違ってくるわけ。
上を見る、下も両方見えるというのが、私が言う「極地の認識」です。向こうは、宇宙はそれが実相世界です。こちらは現象世界。
更に頂上の先というのは、まさに実相世界、神の世界。大宇宙です。同じ意味です。実相と神と大宇宙、みんな同じ意味だと思ってください。


