学長:現象面は即そのままで「無い」。空である。要するに私たちがこういうように目で見て見えるから「ある」と思う。しかし、私たちは目を瞑ったら無くなりますね。感触、こういうものもこうやって皮膚感覚があるから「ある」と思う。皮膚感覚が無かったら感じないわけです。「無い」わけです。
だから、向こう側にあると思うのは実は自分の中にそういうものを感ずる力があるから、一つは「ある」と感じられる。これは一つの世界ね。全部、皮膚感覚、音、目、耳、五感、すべて。
もう一つはそのもの、事物はどうかっていうと、これはこの目で見てそういうように見えるけど、これをもっと顕微鏡で見たらどのようになるか。百倍、千倍、一億倍、一兆倍、ズーっとその無限の顕微鏡があったとしたら、もう細胞なり、原子素粒子なり、もっともっとなったら、最後はもう微粒子みたくなって、さらにその奥にいくと無くなるわけ。
こういうのもピッと隙間がないように見えるけど、これをもっと顕微鏡で見たら、物凄い隙間、離れてます。穴だらけ。さらにそれで見ていくと、無くなる。ビーっとエネルギー体だから。で、さらにそうなっていくと、消えて無くなる。
色即是空、空即是色というのは、要するにあらゆる仏教の神髄を一言でいうなら、「縁起」って言葉がありますね。縁起がいいとか縁起が悪いとか使っているけれど、あれは本当はそんな浅いものじゃないんです。
もう仏教の神髄と言ってもいい。要するに「縁起」と言うのは、この世のあらゆるものが、いろいろな縁によって成り立っている。だから、私たちの身体もいろいろ、水分だとか、縁があって、この空気だとかいろんなものがあって、成り立っている。この時計だって、いろんなものが組み合わさって縁によって出来ている。
一つの時計ってなっているだけで。実はそのあらゆる事物は、一つの固定的な実体は無い。「こういうものだ」という実態は無いわけです。いろんなこの地球上にあるあらゆるものが絡み合って、そういうものが組み合わさって、縁によって成り立っている。
そして、私たちがそれを見ている目があって初めて存在するとかね。すべてそういうもので、組み合わせで成り立っている。
だから、このものはこうだという固定的実体はない。あの人はこんな人間だっていうけど、それは自分の思っているあの人です。その人はそういう人じゃないわけです。自分の捉えるその人。人によって評価が違うのは当然のことです。
それは全部その人が思っているその人だから、その人ではない。自分のことを、私はこんな人間だって思っているのは、それは自分で思っている自分であって、それは自分じゃないんです。みなさんがそう思っている自分は自分じゃない。
だから、そういう一つの固定的な実体はない、ということです。
だから私たちは、そういう感想を持つときに、それぞれ自分の感覚で、ビールを飲んで旨いって言ったり、苦いって言ったりする。それは、ビールが旨いとか苦いとかっていうのはこちらで感じる世界であって、ビールそのものは、こういう形、こういう味というものじゃないわけです。
味というのは、自分で感じるものであって。そういうことです。
だから、この世のあらゆる出来事もやはり同じです。自分がどう受け止められるか、どう捉えられるかということは、無限なんですね。無限なんです。あなたの意識によって、無限のとらえ方が出来てきます。だから、
そのものはこういう出来事というものは無いから、あなたが自分がどうなるか、自分自身の変化、自分の次元によって、捉え方は変わるから。だから自分がどう変化していくか、どう捉え方が変わるか、どう感度が良くなるかによって、そのものが、みなさんの周りにあるあらゆる出来事が違ってくるということです。
また、そういう違った受け止め方をしたときに、またそれはそういうものはエネルギーとなって、言葉となって、波動となって表れていって、またそれが展開していくということです。
だから、すべてのものは無い。無い、無い。よろしいですね。無い。無いというのが真実です。



