「佐藤学長の分身メンバーミーティング」開催!

 

今日は、「佐藤康行の分身1000人」プロジェクトに参加されている方々による、学長への報告・質問会が行われました!

真我に出会い、ご自身の人生が大きく好転された方々が、今度は学長の分身として一人でも多くの方に真我を伝え、広めていく――。それが「佐藤康行の分身1000人」プロジェクトです。

 

ある女性は、かつて自宅のポストに入っていた一枚のチラシをきっかけに真我と出会いました。その後、ご家族で真我を追究され、今ではご自身がポスティングをしたり、さまざまな場所で書籍を配ったりしながら、真我を広める活動をされています。

今日参加された皆さまも、街頭で真我のチラシを配る方、地元で「美点発見」を広めている方、映画を通して真我を伝えようとされている方、職場の友人や知人に書籍を配りながら真我を伝えている方など、その活動は実にさまざまです。

それぞれが自分のできる方法で学長の分身となり、真我を伝え続けています。

今日は、そんな皆さまから日頃の活動について次々と報告があり、さらに活動の中で生まれた質問が学長に投げかけられました。

一人ひとりの実践と、そこに学長から直接答えが返ってくる、とても濃密で熱気あふれる時間となりました!

 

〜〜〜本日の質疑応答より〜〜〜

 

質問者:書籍を人に差し上げる時に心がけることはありますか?

学長:差し上げ方は、「これ見て勉強して」と、そういう心でやらないことです。「もうお分かりでしょうけど」という思いで、これを見たら更にいろんなことに気づくかもしれませんよという思いでする。

そういう思いは相手に伝わります。あくまでも「相手は神」なのだから、「あなたは素晴らしい人」なのだから、そういう思いでやる。「ぜひ参考にしてください」という思いで。心が大事なのです。心と言葉と行動です。

 

質問者2:「前提」について教えてください。

学長:今日はこの会場にいるのは全員が女性でしたね。女性である証拠を見てないですが、女性という前提、人間という前提で私は接している。

だから前提というのは、自分では見えてないけど、三日月を見ても月はまんまるだという。でもどう見ても三日月にしか見えない。自分の目が正しいのか、それとも本質が正しいのか。

もちろんいうまでもなく本質ですね。月は丸いんだと。

でも自分には見えないから「前提」と。それが誠意ではないですか?見えないのに言うのもいい加減といえばいい加減。だから前提という言葉は私にとって大事な言葉なのです。

まず三日月を見て満月という前提。空を見て土砂降りで雲がどんよりしているけど、太陽は全然見えなくても、太陽は煌々と輝いているという前提。

でも全部真実なのです。真実を伝えるのに前提という言葉を使わざるを得ないのです。真我と言ってもわからないですね。これが真我なのか、どれが真我なのか。真我は神であり、完全であり、完璧であり、太陽であり、神という前提です。

皆んな神様という前提。前提と言うしかないですね。これが神様って。それが謙虚さであり、誠意だと思います。どれだけわかってもわかったと言わないのが一つなのです。だから前提ということなのです。

 

質問者3:魂に響く言葉とエネルギーについて教えてください。ご高齢の方にお話を伺う時に何をお伝えすればよろしいのでしょうか?

 

学長:基本的に、何を言うとかという前に、その人の人生全体を掴んであげたら良いと思います。

それは何かというと、ほとんどの方が後悔を持っている方が多いです。ある程度年がいくと。あの時にこうすれば良かった、ああすれば良かったと。また、こう言えば良かったと。

でも、人生そのものを「これで良かったんだ」と、「全てこれで良かったんだ」と全部肯定的にもっていけるようになれば良いですね。そのお手伝いをしてあげれば良いです。